草原の満ち潮、豊穣の荒野
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草原の満ち潮、豊穣の荒野 外伝 1 真夜中のパンティ



~プロローグ~


昔、昔の事さ。
ある悪い海の魔物がね、ひとつの町を壊しちまった。
そこに住んでたたくさんの町の人達はほとんど魚にされ、草原と湖だけになっちまった。

そこにひとつ、古い塔があるんだが、そこには悪い魔物が閉じ込められてる。
もう悪さをできないように、ってね。

「どうして退治してしまわないの?」

その魔物はね、殺しても死なないんだよ。
不思議な事に殺しても次の朝にはケロっとして元に戻ってる。
だから生き残った人達はそいつを塔に閉じ込めて出て来れないようにしたんだ。
もう何百年も経っているけど、そいつはまだじいっと塔の中で息を潜めている。

「今もまだいる?」

そうだよ。
決して自分から外に出る事は出来ないけれど、今も時々人の夢の中に現れては
塔を開けさせようとするそうだ。
だけど決して開けてはいけない。

「魔物はどんな姿をしてるの?」

青い肌、青い海藻のような髪、冷たい氷のような瞳を持っていてな、その声を聞いた人間はあっというまに死んでしまう。
奴はなんとか人をそそのかして塔から出ようと語りかけて来るが、皆その言葉を聞くと耳から血を流して死んでしまうんだよ…







海岸沿いの崖っぷち。

暗闇の中、とうに光を出さなくなった古い灯台の下へちらちらと小さな灯がやってくる。
小さなランプを下げたふたりの子供。
ひとりは金色のおさげを垂らした12歳くらいの女の子。
もうひとりはよく似た、彼女より少し小さい金髪の男の子。
夜更けの打ち付ける波だけが規則正しく聞こえてくる暗い道を歩いて来る。



「…」

「ね、本気で入るつもり?」

「…」

「ちょっと!!」


女の子は男の子の耳を引っぱると、耳栓を抜いて海に捨ててしまった。


「あっ!なんてことするんだよ!姉さん」

「あんた、本気であんなお話信じてるの?」

「だって皆ここに近づかないじゃない。魔物がいる証拠だ」

「あらそう。じゃ、耳栓もうないけど、あんた魔物に話しかけられて鼻血ブーでおしまいってわけね」

「鼻血じゃないよ、血が出るのは耳!」


「どっちでもいいわよ。もう気持ち悪いから帰りましょ」

「それじゃ僕は皆からバカにされたまんまだ!」

「あんたがオネショ癖治せばいいじゃない」

「お……女には男の気持ちなんかわかんないよ…」

「ああ、そうですか。でもね、あんたのシーツ洗うのいつも手伝わされるのあたしなんだから」

「聞こえない。何も絶対聞こえない!」


男の子はしっかり耳を塞いで真っ暗闇の塔の入り口に立った。


「夜中トイレにも行けないくせにこんなとこは平気っておかしいわ…」

女の子は暗闇にそびえる古い塔を見上げ、弟の後ろに隠れた。


「うー、うーん!」


二人の子供は力一杯扉を押したり引っぱったりしてみたがビクともしない。


「古いから簡単に壊れると思ったのに。なんか固いものないかな」

ふたりは落ちていた流木を拾うと扉をガンガン叩き出した。


「コラ!何やってんだ!」


突然暗闇から声がして何かが飛びついた。



「ギャーッ!噛み付いた!なんか噛み付いたっ!」

「キャーッ!あたしのお尻噛んだー!」

「え?」

「こンのおお!!」


少年は飛び出して来た何かを思いっきり流木で殴った。

ドサリ。


「はあ、はあ…なんだよびっくりした」

「犬?」


少女はランプを近づけ倒れたものを覗き込んだ。

「あれ?」

「犬じゃない…」

そこには犬ではなく人がひとり倒れている。



「青い髪…それに肌も青い!」

子供達は顔を見合わせた。

「もしかしてこれって、魔物?」

「嘘…」

「ロープ持って来た?縛った方がよくない?」

「うん、でも…」

少年と少女は声を揃えて同じ言葉を呟いた。



「ちっちゃい…」







「う、うーん」


木に縛り付けられた『魔物』が目を覚ました。

「いってえ…」

「あっ!姉さん!魔物が起きた!」

「バッキャロー!なんでこんなとこに縛るんだよ!このクソッタレ」

青い髪に青い肌の『魔物』は
水色の目を大きく見開いて罵った。



「なんか可愛い。髪も長いしリボンで結んであげようか」

「このガキブッ殺すぞ!」

「ブッ殺す?…あんたが?」


姉弟はけらけら笑い出した。



「何がおかしい!」

「だって、あんたあたしの弟よりちっちゃいんだもの」


『魔物』は怒鳴った口を大きく開けたまま言葉を失った。



「姉さん、こいつ牙持ってるよ。小さいけど凶暴だ」


弟は噛み付かれた腕の歯形を見て、縛ったロープを引っぱった。




「ね、あたし、ディアナ。こっちは弟のダニー。あんたどこの子?人間?」

「おめえらみたいにひでえ奴らとは口きかね」


『魔物』は足をバタバタさせてロープをほどこうともがいたが、幼児くらいの体型で手足も細く、びくともしない。


「なんだかかわいそう。放す?」

「ダメだよ!こいつは昔町を壊しちゃった悪い奴なんだもの」

「こんなおチビちゃんが?」

「うがああ」

「油断しちゃダメだ。だって魔物の声を聞くと耳から血を流して死ん……」


ふたりは顔を見合わせるといっせいに耳を塞いだ。


「死ね死ね今すぐ死ねこのクソガキ共!
いきなりひとんちガンガンぶっ叩いた挙げ句気絶するまで殴りやがって!!
そんな外道今すぐ呪われて死んじまえーッ!」


小さい『魔物』は甲高い声でひとしきり罵ると息を切らせて咳き込んだ。
ディアナはその仕草がおかしくておかしくて耳から手を離すと笑い出した。


「ダニー、ちょ、この子声も女の子みたいで可愛い!」


「うわああああああああああ!!」


『魔物』は俯いて震えた。


「あら、震えてる。こわいの?」

「震えるくらい怒ってんだコンチキショオオオオオオオ!」

『魔物』は怒りのあまり泣きながら怒鳴り散らした。


「あんまりだ!こんな侮辱ははじめてだ!オレがいったい何したってんだ!ひでえ、ひどすぎる!」

「あ、泣いた」

「…青いのだけは言い伝え通りだ。もしかしたら魔法でも使うのかな」



『魔物』はぴたっと泣くのをやめて凄んだ。


「ああ、その通り。オレ様はこわい魔法使いだから逆らうとひどい呪いがかかるんだぜ」




「なんかバカらしくなってきた。もう帰って寝よう、姉さん」

「そうね。でもまた噛み付かれると嫌だわ。このままにしとく?」


ディアナは暗闇で噛み付かれたお尻を気にしてスカートをめくりあげた。


「ぶは」

「…あっ」


『魔物』はディアナの視線に気付くとブンブン頭を横に振った。

「お、おま、お前のパンツなんか、全然見えな…」

「バカーッ!」

ディアナは小さい『魔物』をひっぱたくと走り出した。
弟もあくびをしながら立ち上がる。
『魔物』はもがきながら必死で懇願した。



「ほどいてくれよう!日が昇ったらオレ死んじまう!
なんでも願い事聞いてやるからロープだけはほどいてけ!
太陽が死ぬ程苦手なんだー!」


弟はゆっくりと魔物に振り返った。
だが彼はアカンベエをするとこう言った。


「ほんとに魔物なら死んじゃえ」

「マジかよ!!」


がくりと『魔物』が頭を垂れた。
汗がじわじわ噴き出してくる。

「ちくしょう、日よけコートひっかけてくりゃよかった、超やべえ」

遠くの水平線が明るい。海鳥達も目を覚まして鳴きはじめた。


「しめた!こいこい!」


『魔物』は必死で口笛を吹いた。すると一羽の海鳥が飛んで来てロープをほじり出したが全くどうにもならない。
やがて海鳥は齧るのを放り出し糞をすると飛び去ってしまった。


「クソ鳥!役立たず!もう絶対飯なんかわけてやらねえから覚えとけー!!」



少しずつ空も白みはじめ『魔物』が嘆いた。


「ああ、もうだめ…」



布で覆われていない部分からだんだん腫れあがっていく。喉がひりついて痛い。
『魔物』は登って来る悪魔のような太陽を見るまいと目を閉じた。





「ちょっと、あんた」

「あ…」


戻って来たディアナがこわい顔で立っていた。


「あんた、パンツ見たとかお尻齧ったとか、誰にも言わないなら放してあげるけど」

「言わない絶対言わない口が裂けても言わねえ約束するしお前の言う事なんでもきいてやる!」


ぱちん、とロープを切る音。


「ウギャアアアアアアアアアアアア!」



青い『魔物』は悲鳴をあげながら崖から海に飛び込んだ。


間一髪で太陽はその直後に夜を連れ去った。
ディアナは崖から覗き込んで叫んだ。


「約束、守ってよ!」



波間から青い魔物が顔を出した。

「おお!約束は守ってやらあ!
誰にも言わない。それからオレの名前、特別に教えてやろうか」

「何?よく聞こえない!」

『魔物』は思いっきり息を吸い込むととんでもなくデカい声で怒鳴った。



「オレの名前はな、ディアナ、
お め え の パ ン ツ の 色 と お ん な じ だ あ!」



「!」



早朝。こっそり家に戻ったふたりはそれぞれのベッドに潜り込んだ。
父や母はまだ眠っている。
弟が姉にささやいた。

「姉さん、あいつ放してやったの?」

「ええ」

「あいつ、なんなんだろ、いったい」

「知るもんですか」

「どうかしたの?」

「うるさい。もう寝るのよッ」

姉は弟にうさぎのぬいぐるみを投げつけ、毛布に潜った。
彼女は眠りにつく前こう誓った。

ブルーのパンツだけはもう二度とはくまい、と。




誰もいなくなった海岸に寄せ返す波の音だけが響き渡っている。