草原の満ち潮、豊穣の荒野
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97 草原の満ち潮   4 古い童話〜Lights in the Sky

幼い頃、ブルーは空を駆ける事が望みだった。
禁断の空を見上げ、巨大な星空の生物達に出会った。
沈んだ船の書物に記されていた星座。

そして魔法の浜辺の話に思いを馳せ
ブルーは獅子を夢見た....

いや.....。
そうじゃない。この姿は鳥のそれだ。

飛び続けながら彼は自分の前に水の球体が浮かんでいる事に気付いた。

ええと。
彼はあたりを見回して愕然とした。
一面星の海。
様々な星の光が、暗く吸い込まれそうな深海より暗い空間に瞬いている。
不意に脳裏で声が響いた。


『あなたは魔法の浜辺を見つけたの?』


星の海に佇む、巨大な乙女がそう語りかけて来た。

「あなたは?」

『私は誰でもないわ。だけどあなたの事は知っている』

「え?」

『大きな焔を抱えた鳥よ。星も月もまぶしがっているわ。
ここでのんびりしていてはだめよ』

「ああ、オレ、行かなきゃならないんだった」

『何処へ?』

乙女が微笑んだ。


「街へだよ。あの男を止め....?」

あれ?
オレ、何を言ってるんだ?
あの男って.....

銀河の魔鳥が大きく叫んだ。
その胸には太陽のように燃え上がる強い光。
近くの星や星座達がこそこそと隠れた。

『思い出したのね?』

「...行かなきゃ」

魔鳥は浮かんだ球体に突っ込んだ。
その球体には水が永遠に巡回するかのように流れている。
頭から突っ込もうとしても流れの勢いが拒む。

『火は大丈夫?』

鳥が笑った。

「問題ない。この火は決して...」

鳥の翼は焔を吹き水を粉々に散らした。
球体は硝子か氷のようなもので覆われている。
鳥は嘴を凄まじい勢いで叩きつけるとヒビを入れた。
そのヒビは叩き付ける度少しずつ広がり、
さながらふ化する雛が卵の殻を破る時のようでもあった。

『お行きなさい。海を離れても行ける所まで...』

鳥はついに球体のひび割れから内部へ突入した。
不思議な事にその球体は内部に入った瞬間巨大な空間を広げていた。



********************************



「そ...空が割れる」

赤い稲妻のように焔が走る度、巨大な鳥が姿をはっきりと現して行く。
呆然とルーが空を見つめていた時、鳥が巨大な翼をひとつ打った。
街を一陣の風が吹き抜け、少年を打った。

「ぎゃっ」

「行くぞ、ルー」

「その声はブルー?」

焔の鳥は銀棍を足でつかむとルーをひっかけてさらった。
あまりにも早かったのでルーは
胸の真ん中に銀棍が刺さった格好のままさらわれていった。

「なっ、なにするんだ、ブルー!火が...」

ルーが串刺しのまま叫んだ。
魔鳥が羽ばたく度焔が噴きあがり街や人を飲み込んで行く。

「これでいいんだ」

魔鳥は一帯を火の海にするとやがてあの荒野へ降り立った。
ひとりの青い男の前へ。
その足元にはカノンが倒れている。生死はわからない。
カノンの体から追い払われた深海の獅子は力なく佇んでいた。
幽霊、ヴァグナーは焔の逆光で顔がよく見えない。

オンディーンだけがその顔を焔に照らされ真正面から見ていた。

「何も残すな...。人も街も歴史も想いも、何もかもすべて...」

魔鳥は倒れているカノンを見ると掴んでいた銀棍を放した。
ルーがころりと転がり落ち、胸に手を当て叫んだ。

「火...火が!」

ガレイオスに壊された体の空洞に火が踊っている。
魔鳥の体から銀棍を伝い、赤と青のふたつの焔が燃えていた。

「さあ、私が持って来たものを持ち主に戻してやってくれ」

「わ..私?」

ルーは戸惑うように魔鳥を見上げた。

「君ならできるよ」

魔鳥から上品に微笑みかけられ、ルーはあわてふためいた。

「遠い過去、君が持って生まれた能力を忘れたのかい?」

「え?」


「ああ、もう面倒くせえな、とっととカノンを起こせって言ってんだよ!
長い事時間がたってボケたか?チビのくせに。ああ?」

「................」


ルーは混乱したままカノンの胸に手を近づけた。
勢い良く胸の炎が燃え上がり、銀棍がカノンの足元に自ら突き刺さる。
魔鳥が言った。

「笑わんかいボケ」

「!?」

「お前の役目はなんだ?オレのドタマぶっ飛ばしてまで助けたんだろが。
とっとと笑って治してやれバカ」

「........えー!!!!!!」

ルーが何かに気付いて叫んだところで魔鳥が少年の尻を蹴飛ばした。
少年は勢い余ってその手をカノンの胸に当てる形で突っ込み倒れた。

幽霊がニヤニヤ笑っている。

「あっ」

少年が声をあげた。カノンの鼓動。そしてゆっくりと開かれた赤と氷青の両眼。

「い、生きてる!」

ルーは起き上がり魔鳥を見てそう叫んだ。
魔鳥がニヤリと笑った。

「なあ、ルー、お前が笑う事しか出来ずに生まれて来たわけ、
わかったか?」

「..........あなたは...」



オンディーンが怒りに燃えた目でルー達を睨んでいた。
焔に照らされた鬼の形相。

ルーが笑い出した。カノンに抱きつくと彼は全力で笑いこけた。
半泣きに近い笑顔。カノンの顔に赤みが差して行く。
残っていた傷跡も薄くなっていた。

「そうだ...ぼくは...」

カノンは笑いこけるルーに戸惑いながら起き上がると、懐かしい幽霊を見つめた。

「ヴァグナー..」



「何故邪魔をする」

悪鬼が低い声で言った。

その声にカノンは飛び起き、銀棍をいつものように握りしめた。
幽霊は背中を向け、頭をかいている。

「カノン、あんたが火を渡してくれたおかげで
なんとかなりそうだよ」

「!」

カノンは振り向きざまに、話しかけて来た魔鳥を銀棍で殴った。

「何すんだこの!」

「なんとかだって!?この惨状を見てなんとかだって!?
いったいどんな神経をしている!」

「てっめえ、元気になりやがって」

幽霊の肩が震えている。
ルーはぽかんとして笑うのをやめた。

「いちいち細かい司祭だな。しようがねえだろ!
最小限の被害は目を潰れよ!」

「最小限だって!?街が全焼してるじゃないか」

「ふっ」

魔鳥が笑った。
続いて幽霊がたまらないように爆笑した。

「何がおかしい。ふたりとも」

魔鳥と幽霊が顔を見合わせると
同じタイミングで言った。


「お前の火はいったいなんだ?」







オンディーンが一歩後ずさった。
その足元には僅かな泥水が残っているばかり。
ルーは魔鳥を見上げると言った。

「あ、あの...ぼくはあの時、あなたに言わなければならなかった事が。
助けてくれてありが...」

「ガタガタ言ってる間に奴をとっつかまえやがれ!」

勢い良く魔鳥が体を旋回させ、シッポでルーを弾き飛ばした。

「わああああっ!」

少年はオンディーンに激突する形でふっとんでいった。

「ぐ!」

少年の胸の火が最後の泥水を奪い去った。

「わあ...こっちとあっちと...ええと」

今度はブルーと似た顔の男に、抱きつく形になった少年は戸惑った。
この顔の男がかつて自分を命と引き換えに救ってくれたのだ。
捕まえろと言われても...

「ルー君、おいで」

カノンがずいと進むとルーの手をひいた。

「あ!」

ぼろりとオンディーンの腕が外れ落ちた。
ルーが思わず掴んでいた右腕。
魔鳥が嫌そうに首を振った。

「嫌な野郎を思い出すよな...」

カノンがルーを背後に押しやりオンディーンの前に立った。
たったそれだけでオンディーンは残った片腕で顔を覆い呻いた。

「い...命の火...」

「カノン、頼む。そいつで終わりだ」

魔鳥が無表情に言うのを聞いた幽霊が一瞬
複雑な顔をしたが、そのまま背を向けた。

「私が消えればお前は...」

「うるせえ。カノン、仕事だぜ」

「あっ」


ルーが目を見はった。魔鳥に言われるまでもなく
カノンの足元から走った焔がオンディーンを包み
容赦なく一瞬で焼き払っていた。


「命に勝てる屍はないさ...」

魔鳥がそうつぶやくと地響きを立て倒れた。
胸の火が徐々に体全体を包んで行く。

「ブルー!」

ルーが駆けより火を消そうとしたが、ますます燃え上がってしまった。

「どういうこと?なんでブルーが...」

「あちー。あっついわ...」

カノンは燃え始めた魔鳥と、幽霊を交互に見ると少年の肩に手を置いた。

「よいしょ」

魔鳥が起き上がった。全身を燃え上がらせたまま。
もはや鳥の形とはいえない焔の塊。

「最後のひと仕事だ」

「ブルー殿?」

「殿はいらない。あんたの火とオレの海の火はフェアだ」

ルーがたまりかねて叫んだ。

「オンディーン!あなたは何を」

焔の塊が笑うように揺れて答えた。

「あの童話はまだ終わっちゃいない」

「!!」

何かが飛び立つように焔が噴き上がった。
ひび割れた空に向かってまっすぐ。
ひとすじの青い焔が天高く飛んで行く。

「カ、カノンさん!今のは...」

「ルー君、落ち着き給え。いいんだ」

カノンはそう言うと幽霊の方を見た。
幽霊が笑っていた。

何もない焼け野原の大地に暗い空が広がっている。。
青い焔は矢のように天に刺さり、何かが砕けたような轟音が響いた。
しばしの沈黙。
そして...


「あ...雨...」