草原の満ち潮、豊穣の荒野
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~Help Me....
「あかん!もうこれ以上うろつけんわ。 作戦変更や、ルーくん。このまま街から出るで」
白み始めた空。 街の出入り口は既に人で活気付いている。 ナタクは口元に人差し指を当てるとルーの頭に 大きなコートを被せ歩き出した。 小さな子供は目の前がすっぽり隠れて足下がおぼつかない。 顔は一応判別不能にはなったが、完全に怪しい人さらいの道行き。
「あはは、ども、ども。ご苦労さんです」
案の定、警備隊の男の質問を避けられなかった。
「こういう人出の時は犯罪者も多いんだ。 子供を誘拐する変態野郎だの盗人だのインチキ商人だの。 で、お前さんはどれだ?」
いかつい大男がルーのコートをめくりナタクを睨んだ。
「メチャメチャ言いよるな。 俺は今この子の保護者んとこ連れて行きよる最中じゃ。 ...ちゅうても聞かんのやろなあ。 なあルーくんからも、このおっちゃんに違う、言うてく... うわ!?」
ナタクが黒眼鏡をずり落しかけた。
コートをめくって子供の顔を覗き込んだ大男はそのまま股間を押さえて 膝を付き固まっている。
「人の顔勝手に覗き込みやがって ガキだと思ってなめんじゃねえぞコラ!」
青く長い髪を背中で束ねた子供は、股間を蹴り上げた小さな足で 闘争前の兎のようにばんばん地面を踏んだ。 加えて、開いた口から飛び出す悪態は立て板に水。
「何事だ?」
「どうした?」
「野次馬は引っ込んでろ。 そのちっこいキンタマ引っこ抜かれたくなかったらな」
10歳前後にも見える小柄な子供はコートを被り直すと 手だけ突き出し中指を立てた。
「...えーと...ルーくん」
子供は指を立てたまますたすた歩き出した。
「これ、ルーくん、ちょい待ち、ルー...」
子供の足がぴたりと止まった。 彼は思いっきり口元を吊り上げ振り向くと コートをナタクの顔に放り被せ走り出した。
「ぶは!お、おい!」
「助けてー!!こいつ人さらいだよー!!」
青い髪を放り出したまま、『ルー』は人の波の中へ駆け込んだ。
「はああ?」
「子供をさらうとは何事だ」
「警備隊を呼べ!」
「怪しいぞ。変態だ、変態だ」
「ちょい待ち、こないな黒眼鏡しとるからって 人を見かけで決めんといてや。よーく近くで見てんか、この つぶらできれいな目ぇ、ほれこっち...」
ナタクはオーバーに手をヒラヒラさせ、警備兵ふたりを手招いた。
「うるさい、いちいち野郎のツラなんか...ぐえ!」
逃がすかとナタクを挟んで立った二人の大男がどさどさと並んで倒れた。
「飲みすぎでっか」
一瞬でそれぞれの男に肘と膝を喰らわせた酒屋はにんまり笑うと ルーの後を追い走り出した。
「どけよ!邪魔だってば」
青い子供は街に引き返すように走って行く。 途中で何度も人にぶつかっては悪態を喚き散らし その度朝早い勤勉な大人達が目を剥いた。 中には昨日の『奇跡』を見た敬虔な者が 微笑みと共に跪いたりしたのだが 当の本人はその垂れた頭を踏んづけて走り去った。
「神の使いってアレ?」
「確かに同じ顔だったぞ。あの青い頭、間違えるもんか」
たくさんの人々の思惑と騒ぎの中 青い子供は駆け抜け止まる気配もない。
「えーと、オレどこ行きゃいいんだっけ?」
朝になり人の波が半端でなくなった頃、ようやく彼は足を止めた。 やたらと人々が自分を見てあっ!という顔をする。 喉の乾きを覚えた彼は傍のテントに潜り込んだ。
「きゃーっ!!」
「わっ」
潜り込んだ子供の顔に何枚も服や下着らしき布が飛んで来た。
「ちょっとなに!この子どこから入って来たの」
「わっ、あっ、うわお...」
顔に被さった布を投げ捨てた子供が開けた視界に目を丸くした。
「なによ!」
数人の『女神』準備中の娘達が腰に手を当てて詰め寄る。
「お...オッパイ...」
テント中が蜂の巣を突ついたような騒ぎになった。 何事だ、と覗いた男にも娘達は突進し、最初に騒ぎを起こした 当人は隅っこで真っ赤になって下を向いていた。
「あはは、どしたの。ほら、こっちおいでよ」
ひそひそ声と共に誰かが彼の手を引っぱってテントから連れ出した。
「そんな顔してるとこ見るとわざとじゃなさそうだね。 君、迷ったの?」
彼がようやく顔を上げた先に桜色のドレスを着た女神が立っていた。 結い上げた長い銀の髪、大きな目の瞳は印象的な金。 女神はにっこり笑って持っていたりんごを差し出した。
「ほんとならこっちも同じ目に合わされるべきなんだけど」
桜色の女神は悪戯めいた笑顔でドレスの裾をつまんだ。
「....」
りんごを受け取った子供が用心深く齧り出したのを見ると 女神は彼の隣に腰掛けた。
「君、この街の子?それとも祭りを見に来たの?」
「......」
青い髪の子供は反抗的な目を向けるとりんごをばくばく頬ばった。 急いで食べ終えようとしたのかリスのようにぱんぱんに 頬が膨らんでいる。
「あはは、うりゃ」
女神が面白がって指で頬を突いた。 ぶっとりんごをぼろぼろ吹き出しながら彼は抗議した。
「んに..んだひょ」
「あははは、ごめん。ゆっくり食べていいよ。 お腹減ってるんならパン食べる?」
「..........」
子供が大口を開けて絶句した。 女神はごそごそと自分の胸に手を突っ込むと中からふたつ 紙に包んだパンを取り出したのだ。
「ココにはなんか適当に入れるし、ちゃんと包んでたから気にしないで食べてよ」
女神は笑い転げたいのをこらえながら勧めた。 本当はタチの悪い酔っぱらいに絡まれたらやろうと思っていたのだが...
「君、名前は?アタシはイザック」
芝居がかった声で女神が名乗った。 青い子供は暖かみのあるパンをふたつ、呆然と握ったまま答えた。
「オ..オレ...」
「ん?」
「わ...わかんねえ」
「わかんない?あ、言いたくないってコトか」
「そうじゃなくって。わかんねえってホントにオレ...」
女神が苦笑しながらいいよ、いいよと流したので 彼はモゴモゴ口ごもってしまった。
「ルー君」
唐突に『彼』の名が呼ばれた。 ふたりの背後に黒髪に黒い服を着た男が立っている。 少し離れた場所であの黒眼鏡の男が手を振ったが 青い子供はソッポを向き無視した。
「あ、そろそろ行かなくちゃ... じゃ、またね。もう変なとこ迷い込まないように」
女神は笑顔で立ち上がると彼の額に軽くキスをした。 そしてポケットから小さな花の絵が描かれた紙袋を手渡した。
「これ、幸せの種。 女神からもらって植えると願いが叶うんだって」
微笑みながら桜色のドレスを翻し女神は立ち去った。 『ルー』は黙ってふたりの男を睨みつけている。
「誰かにそっくりやの」
「......」
「ブルー殿縮めて突っついたらこんな感じや」
「...なら扱い方はリハーサル済みだ」
ふたりの大人は子供が逃げないよう充分気を配りつつ 威圧感を与えない位置に立って言った。
「で、当のブルー殿は?」
黒髪の司祭の言葉に酒屋が頭を掻いた。
「なあ、カーくん。思うんやけどな。 このままルーくん、神殿の連中に渡しても大丈夫と違うか。 すれ違ってもうた以上どうにもならん」
カノンはナタクの言葉に別段抗議もせずあっさり同意した。
「神殿に酔っぱらったクマを放り込む方が 喋らないだけ彼等にはまだマシだろうね」
「...クマ?」
子供がけげんな顔をした。
「わはは、流石カーくん、察しがええ。 ここはひとつ『ルーくん』にのびのびと暴れてもらおか。 いらんコトもバンバン言ってええよ」
酒屋の嬉しそうな言葉にカノンが釘を刺す。
「ただし、監督はつけておかないとリスクが大きい。 何が起こるかわからないし、起これば大抵彼の場合 面倒な...」
「そのどさくさにトンズラって手も悪くないと思うで。 うまく行けばインチキ奇跡って事で片付けられるんと違うか」
「ふむ...」
カノンはあごに手を添え思案するように『ルー』を眺めた。
「何うだうだクマだのインチキだの人の顔見て喋ってんだ。 お前ら一体なんだよ。知った風な事言いやがって。 そこの黒ノッポ」
「...となるとブルー殿の行き先を確認すべきか。 聞き出してはおいたが、どちらかがブルー殿を追った方が確実だな」
カノンに完璧に無視された『ルー』はナタクにも悪態を吐き散らしたが にこにこ笑ってその調子、と誉められ黙り込んだ。
「バカにしてんのかよ。どいつもこいつも!」
『ルー』は腹立ち紛れにもらった花の種を投げ捨てかけたが 思い直したようにポケットに押し込み額をごしごしこすった。
「いよ、色少年」
「う、うるせえっ!!」
『ルー』は酒屋に石を投げたがあっさりよけられた。 頭のほとんどの記憶は霞みがかかったようにぼんやりしている。 例えるなら妙な時間に眠り込んで突然起こされたような感触。 それがずっと続いて何も思い出せない。
「くそったれ...」
彼はどうにでもしやがれとあぐらで座り込んだ。
街は賑やかな音楽が響き、通りもまっすぐ歩けない程の人出。 春の日差しに輝くような女神達の列が現れ歓声が沸き起こる。 彼女達の手から色鮮やかな花や花びらが振りまかれ 青い『ルー』の目に夢の続きのように映っていた。
暖かい場所。 居心地は悪くない。 ぼんやりした頭で彼は、通りを見ている。 パレードは華やかに進み始めていた。
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