草原の満ち潮、豊穣の荒野
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「ほんでもって、じゃ」
祭りに賑わう通りの隅で黒眼鏡の酒屋が言った。 黒髪の司祭が 「では、」と街の外へ歩きかける。
「うおおおおおおおおおおおおお! お神さんのお使いやあッ!!」
「!?」
カノンとルーが同時に怒鳴った酒屋を振り返った。
「なっ..ななな」
女神達のパレードはおろか、取り巻いた観衆全員の顔が 黒髪のカノン、青い髪のルー、黒眼鏡のナタクを見ている。
「わはは、ここにおるんはありがた〜いお神さんの使いや。 知っとるもんもおるやろ。 骨折した馬を一瞬で治して立ち上がらせた奇跡じゃ。 見た目は悪ガキやけんど、能あるなんとかは頭隠しておケツ隠さず、 言うてな...」
カノンが渋面で後ろを向いた。
「これ!そこの司祭!!ありがたいお使いをちゃんと面倒見んかいな! また昨日みたいに逃げられるど」
「ルー君の事はナタ...」
「こっちのが早いわあっ!!」
ナタクは子供を軽く掴みあげると司祭に放り投げた。
「何すんだてめッ...」
辛うじて子供を受け止めたカノンの腕から青鬼のようになってルーが飛び降りる。
「おお、あの青い子供、わしゃ見たぞ」
「私は噂を聞いたわ」
「ああ、昨日の...」
街人や女神に囲まれて流石の青い小鬼も司祭の後ろに隠れた。
「ほんじゃ、司祭様、あとは頼むでぇ。 あ、ちょいそこ開けてな、おおきに」
すたすたと人をかき分け、黒眼鏡の酒屋は口笛を吹き吹き去って行った。
「おい、なんのことだか教えろよ!」
カノンの背中で青い小鬼が小声で喚く。 司祭は小さく深呼吸をすると微笑んで人々に呼びかけた。
「皆さん、後ほど正式に神殿の方から彼は出席する事になっています。 見ての通り彼はまだ子供です。 まだ式典の要領を飲み込みかねている事を了承頂ければ...」
「あら、あんたブルーんとこに来てた奴ね。 司祭様だったとは知らなかったわ」
ひとりとんでもなく派手な黒いレースのドレスを着た女神が進み出た。 彼女は滑らかな動きでカノンの顔の近くまで寄ると囁いた。
「ウチの若いの畳んでくれたそうじゃない。 そのおチビちゃんはこっちで面倒見る事になってんのよ。 司祭様がどういうつもりだか知らないけどさ 面倒事には首突っ込まない方がいいってことくらいわかるわよねえ」
黒い女神は含み笑いでカノンに紫色の毒々しい花を差し出した。
「これは美しい女神殿、では予定通り神の使いの少年は貴女に」
カノンは顔色ひとつ変えず、優雅な仕草で花を受け取り微笑んだ。 猛禽を思わせる視線の女神と不気味な程にこやかな司祭の対峙。 青い小鬼は妙な危機感の空気中にも関わらず 横目で女神の豊満な胸元にちらちらと視線を飛ばして呟いた。
「...でけえ....」
「あっはっはっはっ!あんたほんとに父ちゃんそっくりねえ、 いらっしゃい。あたしと一緒に今日の主役を張らせてあげる」
黒い女神...デライラはブルーが連れていた子供の腕を掴むと 胸に押し付けるように抱きしめ、甘い声で囁いた。
「いい?あたしの機嫌損ねたらブッ殺すよ。 面倒は見るけど面倒を起こしたら一度につき一本ずつ 指をちょん切るからね。 あんたが大人なら別の物をチョン切るとこだけど」
「.........」
胸の谷間で思考が飛んだ少年はわけもわからず頷いた。 何かが危険な事だけは本能で理解できた。
「では、女神殿、あとはよろしく」
にこやかな笑顔の司祭は優雅な礼をして下がった。 デライラと比べればやや地味な印象の女神達が呆気にとられた顔で見ている。
「ほらほら、パレードは始まったばかりなのよ。 さあ、列に戻った戻った」
黒い女神は大きな黒馬の真っ赤な鞍に大股で上がるとルーを 引っぱり上げ前に座らせた。
「おい...なんかひとりえらい女神が今年は混じってないか?」
街人達が動き始めたパレードを追って歩きながら呟いた。 カノンはにこやかに少し離れた場所からついて歩いている。 穏やかな表情の下で彼が何を思っていたか知る者はない。 ルーはルーで後頭部の柔らかい感触に悪態をつく気すら起こらないまま パレードに揺られていった。
街のすぐ外では黒眼鏡の酒屋が急ぎ足で人の波を反対方面へ ひとり抜けて行った。
「あのジャリ犬同士じゃ話も何も進まんわい。 それにでかい『青鬼』の方はちいとまずい事になりそうや...」
ナタクはよく晴れた青空を見上げて唸った。 かすめるように黒い鷲が青空の黒い染みのように飛び去って行く。
「街道沿い、言うてたか。ま、どうせ道は一本じゃ。 人がおらんとこで追いつけばええわ」
街道の傍を緑の草が新緑を歌い上げるように揺れていた。
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