草原の満ち潮、豊穣の荒野
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12 傷〜人魚(後)Moonlight Shadow |
月明かりの公園。 スラムで少年を照らしたものと同じ光。
公共物にも関わらず惜しみない細工が施された オブジェや時計台が並んだ公園。 どれも人魚のレリーフと古い時代の言葉が刻まれていた。
居心地悪そうに膝を抱えた少年。 欠伸をする男。
「そろそろ時間だ」
男が時計台を軽く小突き 思わずブルーの背筋が伸びる。
目立たぬようかがんだまま辺りを見回す少年。 広い夜の公園の片隅。 庭園と言った方がふさわしい。 男がゆっくり立ち上がる。
「お出ましだ」
男が顔を向けた方向から 人目を避けるように人影がやってくる。 目立たぬ色のローブ。頭には黒いレースのベール。 遠目から見ても複雑な光沢を放ちながら 流れる長いひれ。
色鮮やかな中央都、人魚、母親。 何もかもはじめてだった。 少年が頭を傾げる。
えーと。なんだっけ。
「...オレ何て言えばいいんだ?」
「お袋さん、に決まってるだろ」
「んな事わかってら。だからオレが言ってるのは...」
だって隠れて顔見るだけじゃなかったのか?
あたりをおろおろ見回す。
....大丈夫か? いや、そうじゃなくって、えーと。 だから『母親』がよくわかんねえ。 何するんだっけ?母親って。
人魚だろ?オレ獣人だし... さっきすっげえきれいなヒレ見たぞ。 あんなもんオレどこにもついてない。 いや、もしかしたら...
少年は外套の下のズボンを引っ張って 覗き込んだ。
「....お前何やってるんだ」
「ああっチクショウ!」
ブルーは頭をガリガリかきながら 近付いてくる人影を見た。
レースからこぼれた長い髪。 己のもので見慣れた色が揺れる。
どきどきと胸が騒ぎ始めた。
慣れない別世界で唯一彼と同じもの。 スラムにはなかった青。 自分につけられた名前の青。
ブルー。
少年は外套のフードをあわてて下ろし 脱ぎ捨てた。 束ねた髪を勢い良く放り出す。
あの人によく見えるように、と。
ほころびかける口元。
「奥さん、こっちですぜ」
男が手招きする。 あわてて立ち上がり、何か挨拶しなきゃ、と 一歩踏み出し凍り付いた。
俯いたままの人魚。 品の良い白い肌。 透明で虹色にゆらめく尾ひれ。鱗は真珠の光沢。 全てが別世界のものだった。 だが、そんなものより.....
白いなめらかな指の先。 その指先を握る小さな手。
青い髪の幼い少女がそこにいた。 母親そっくりの姿。
青い瞳。 青い髪...
「ママ、だあれ?」
可愛らしい声。 答えはなかった。
ブルーは立ち尽くしていた。 すべてが歓迎されていない事を一瞬で感じてしまった。 すぐにでも立ち去りたいような 気恥ずかしさを、持て余しうつむく。
しばしの沈黙。
「お約束の物をお渡しします」
ぎこちない空気を人魚の柔らかな声が砕いた。
その白い手には皮袋一杯の金貨。 男はすかさず受け取り どうも、と頭を下げた。
「では」
ブルーの顔さえ一度も見なかった。 背を向けて歩き出す人魚の親子。 思わず彼の足が動いた。 つんのめるように後を追う少年。
違う! 違う!!
こんな事を望んだんじゃない!!
肩に手をかけた瞬間。 人魚は立ち止まり振り向いた。
「お...おか...」
何度も練習した単語が途切れる。 見開いた青い瞳で母親を見つめながら 彼はそのまま言葉を失った。
その手には女物の短剣。既に鞘から抜かれていた。
「お行きなさい。人を呼びますよ! 約束の物はお渡ししたはずです。 ここで人を呼べば、あなた方も困るのですよ」
そうじゃない。
言葉が混乱して出ない。焦って母さん、という 一言さえ凍り付いたように出て来ない。 状況すら把握できなかった。
少年はたまらず、すがりつくように母に詰め寄った。
「!!」
白い手の握った切っ先。 振り払うようにブルーの左頬をかすめた。 熱いだけで痛みはなかった。
震える手で短剣を向ける人魚。 初めてブルーの顔を見た。
「お願いだから...行って...」
一瞬だけ目を合わせた後、横を向く人魚。 怯えた少女をしっかりと抱きしめる。
頬の傷が痛みを増した。 流れおちた涙が傷口に入り込む。 血だか涙だか判別がつかなくなった顔。 失望と怒り、悲しみ、寂しさ、いくつもの感情が 渦をまいて沸き上がってくる。
「まずい!ここで騒ぎを起こすな!」
男はブルーを引っ掴むと引きずって立ち去ろうとした。 抵抗する少年。 顔だけを人魚に向けたまま 彼は何か叫びかけた。
男がブルーの口を塞いで 早く行け!と手を振り回した。
足早に立ち去る人魚。 ブルーの眼に後ろ姿だけを残して。
月明かりの公園。 人影もない。
男とブルーもすぐに出て行った。
Image Music/Moonlight Shadow Aselin Debison
次回は「魔獣の少年」を予定しています。
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