草原の満ち潮、豊穣の荒野
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9 難破船

暗い船底。

難破船。
欠片の赤い石がぼんやりと辺りを照らしている。
焔の石。

少年は古い難破船の底で
本を開いていた。


金貨、銀貨、宝飾品の小山に腰かけて
厚い表紙の本が一冊。

水に沈んで壊れそうな
地上の博物誌。

少年は宝物を扱うように
そっと項をめくる。


半分以上もう分解してしまった本。
一枚抜き出しては
まだ残った彩色に目を凝らす。

字はわからない。
しかしそこには様々な地上の生き物の姿や
天体の図版があった。


海の少年が見た事のない生き物。
星だけは見た事がある。
禁じられた道を通って
海上に出た。

ある老人の大法螺を真に受けて
辿った秘密の道。


空には巨大な獅子がいる。
そう聞いて見てみたいと願っていた。


一枚の絵に満天の星空と獅子。
その胸にはひときわ光る星が描かれていた。



彼は本をめくり続ける。
開く度に壊れていく。

色も褪せ、消えていく。


少年は仄暗い難破船の底で本を開き続けた。
わずかな焔が金銀に反射して
地上の本を照らしだす。


老人の法螺話、地上の生き物
空にある星、月、太陽、風。



彼の心の中でそれは豊かに息づいていた。
童話の魔法の浜辺にすべて
その秘密がある。

彼は物心ついた頃からそう信じている。


行ってみたい。

南の魔法の浜辺へ。
そこには見た事のない生き物や人々が
暮らしている。

焔は不思議な燃え方をして
空にも波が浮かぶ。
乾いた潮流。


海上に顔を出した時感じたものは
『風』だと老人は言った。


秘密の難破船。
古い沈んだ遺跡。
遠い昔の生活の名残り。

彼はよくここでひとり過ごしている。
海の歌を口ずさみながら
本を開き思う。


まだ知らぬ遠くへ。
行ってみたい。

行けるところまで。

どこまでもどこまでも。


彼はいつもただ
それだけを夢みている。

暗い舩の底、
黄金や金銀の財宝に腰かけて。


水夫の亡霊達が陰鬱に座り込んだ海の底。
少年の歌に合わせて
ふてくされ気味に歌う。


少年は本を戻すと何ひとつ持たずに立ち上がった。
亡霊達は財宝の金貨をひとつ彼に差し出した。
骸骨の顔で笑いながら。

少年は首を振って出ていく。
悔しそうな仕種で亡霊達は金貨を放った。

転がったそれはどろりと溶けて
亡霊の足の鎖と変わる。


誰もいない場所。

難破船から陰鬱な歌声が響き続けている。