草原の満ち潮、豊穣の荒野
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8 傷〜想い出 抜け穴のジャック

抜け穴のジャック


スラム街。
場末の路地裏に向かって
歩いて行く二人の人影。
ひとりは無精髭で30絡みの男。
肩程の濃紺の髪に白髪が混じり
実年齢より老けて見える。

もうひとりは長い髪の少年。
汚れたボロ布のような外套に
適当にくくられた青い髪。



海の灯が夜のそれへ姿を変えていく。

夜が来る。



「オレ、もう戻らなくちゃ叱られる」

青い髪の少年、ブルーが立ち止まる。


「心配ない。ちゃんと言っといた」

男が面倒くさそうに言う。
そのままブルーを連れて路地裏の奥へ入って行く。
夜の街。安酒場が開き
博打、裏取り引きで賑わう場所。

女達がすれ違う。
強い香り。
ブルーのくしゃみに振り返ってけらけら笑った。

「んだよ。ケバいねーちゃん」

笑われた少年がぼやく。


「ありゃ、野郎だ」

「え」

「年喰うと素じゃ客が逃げ出すからな」

「女は?」

「街の外でいい暮らししてるさ」

男はつまらなさそうに言うと
人気のない暗く細い曲がり道へ入った。
少年にこっちだと手招く。
少年は腹が減った、とぼやきながら
狭い道に入って行く。


場末の喧噪が遠くなる。
このまま進めば街の外へ出る。
氷と荒れた潮流、荒んだ水妖が棲む
スラムの中でも指折りの廃虚へ続く。
滅多に人も通らぬ道。


やがて男は足を止め
おもむろに口を開いた。




「..お前、作業場でブッ倒れたんだってな」

「え?ああ、鉱石を運んでた時...」

「まずいねえ...」


うつむくブルー。


食糧事情がもともと良くない上に
『運悪く』ブルーは子供達の年長だった。
食事が足りないと小さな子供が夜通しで泣く。

眠る事ができない。
朝になれば力仕事に出なければならない。
たまりかねて分けるしかなかった。

それでなくとも病気になった子供は
捨てられる、そう脅され彼自身怯えてもいた。



「元締めが役に立たん、と怒ってたぜ」

「......」


「こんなヒョロヒョロじゃ、無理もねえがな」

ブルーは己の腕をじっと見ていた。

「まあ、でもお前さんは運が良かったな」

「?」

「その青い頭のこった」

男は少年の髪を顎で指した。

「そんな色、ここのどいつもいやしねえ。
噂じゃ人魚連中とそっくりな色だって言うじゃねえか。

人魚の血を持ってるなんざ大したウリだろ。
せいぜい親に感謝するんだな」

「.....皆は海ヘビの面構えだって言うよ」

少年は肩を竦めて横を向いた。
大人達は彼を海ヘビの種族だと言ってたし
今まで一度だってこれで得をした事はない。

むしろ狩りの時に目立つ色だと
囮代わりに放り出されて
死ぬような目に遭わされた事は
あったが。



「ふん。本当だかどうかは関係ねえよ。
そのお奇麗な青い頭がそれらしく見えてりゃ
どうでもいいこった。

バカはすぐ....いや、なんでもねえ」

男が黙る。



「オレ...もうここにいられないって事?」

「ん........まあ...な」




15にもなればこのスラムがどんな街なのか
大抵把握出来る。

男女ともある時期に未来を決められる街。
もう何人もの子供達が何処かへ行った。
戻って来た者はいないから、その先の事はわからない。

「嫌か?」

「わかんねえよ。そんなの。でも...
オレはいらねえ、って事なんだろ」

「まあ、力仕事ができねえんじゃ、仕方ない。
小手先仕事なんざガキで充分だからな」

少年はうつむいたまま。

「ひょろひょろなりにも役に立つって、認めさせられりゃ
また話はまた別なんだがね...」

慰めるように男が言った。


「別...って?」

少年はさっきすれ違った『女達』を
思い出して嫌そうな顔になった。

「あはは。他人の事をそう決めつけるモンでもねえだろ。
それにそうなら、お前はここから出てく事もねえだろ?」

「あ...そうか。じゃあなんだよ?」

「このオレの仕事がなんだか知ってるか?」

「旅商人だろ」

「その通り。オレはスラムから中央の都市まで幅広く
商売してるわけだ。『抜け穴のジャック』と言えば
ちったあ通りのいい名前だと思うぜ。」

「抜け穴?」

「中央はセキュリティが厳しいからな。うまい事
パイプが必要だ。物を流通させるにしても
しんどい場所と繋がってる程商売になるのさ」

「何を売るんだよ?」


男が目を細めた。

「なんでもさ...」






「で、お前に話を戻そう。
オレには中央にいろいろ融通を利かせてくれる
相棒がいてな。そいつは魔術師をやってる」

「魔術師って人魚以上の奴しかなれねえんだろ。
なんであんたの....」

言いかけて少年は口を閉ざす。
少しは礼儀をわきまえていた。

「そこが腕って奴さ」

男は気にせず続けた。

「お前には協力してほしいんだよ。
融通を利かせる相棒に多少はいい話を振らねえとな」

「協力?」

「そう。奴さんには弟子がいなくてな。
修行が厳しい、ってんで皆居着かねえのさ。
人魚なんざヤワな連中だからな。
獣人の半分も体力がねえ。

そこで、お前を放り込むってワケだ」

「え...オレが?獣人なのに?」

「いいか。その頭の色は間違いなく
奴らの血が入ってる証拠だ。
お前はこんなとこでくすぶってる身分じゃない
かもしれねえぜ....
見ろ。まわりの連中を。
お前がヤサ男なのも獣人以外の血が
入ってるせいだとしたら?

ま、どのみちだ。
師匠の下働きをしながら魔術師の勉強が出来るって
コトだな」


男はやや神妙な声色に変えて言った。

「嫌か?」

少年が顔をあげた。



男はブルーの頭を撫でながら笑った。

「ふさわしい仕事なら、きつくてもがんばれるよな」

少年の表情が明るいものに変わっていく。
礼をしどろもどろに繰り返しながら。


いいよ、と苦笑いで男は少年を黙らせた。
そしてふ、と考え込んだ。






「そうだ、お前、一度お袋さんに会ってみるか?」

「えっ...?」

男は辺りを見回し声をひそめた。

「元締から、赤ん坊のお前を持ち込んだばあさんの
話を引っ張りだしたんだけどな...」

生まれてすぐスラムに引き取られ
親の概念すらない少年。
リラを母親のようなものだと感じてはいたが。

「だって、どこにいるかもわからないってリラおばさんが..」

「そりゃ捨てたガキ...いや。
とにかく事情があったのさ。修行に行く前に一度だけでも
顔見るってのも励みになると思ってな」

「母親....。なんかよくわかんねえよ。オレ」

「まあ、知らない事は経験しな。
オレもお前が立派な魔術師になって時々
優遇してもらえりゃお互い様って奴さ」

少年は不安そうに男を見た。

人魚が住む都市は海底都市の中でも、最高ランクに
位置している。自分が入れたのもそのほんの隅の
街までだ。
そこすら歩いているだけでつまみ出される。
とても中央になんか。


「ま、会いたくなきゃ別にいいんだが」

男が素っ気なく言い放った。
あわてて少年は頭を横に振る。

「本当に?」

「オレは『抜け穴のジャック』だって言わなかったか?
こう見えても人脈は広くてね。潜り込んで顔を眺める
程度なら、問題ない。
ああ、でも手間賃は頂くぜ。
タダでうまい話ってのは世の中ナシだ」

「金なんかないよ」

「ちょっと持ち出して欲しいモンがある。
そいつさえ手に入れば何もかも
オレがうまく手配してやれるんだがね」

にこやかにウィンクして見せる男。

「持ち出す?」
「ああ、絶対誰にも言うなよ」

男が耳打ちして囁いた。

「あの飯炊き女が持ってるモノなんだけどな....」



路地裏をひとり少年が歩いて行く。
心なしか考え込むような表情と足取り。

街灯に照らされた少年の後には、長い影が伸びていた。