草原の満ち潮、豊穣の荒野
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7 傷〜想い出 べろべろじいさん

べろべろじいさん


冷たい雪の朝。マリンスノーと呼ばれる雪。
氷の街に降る地上のものとは異なる雪。

ひと仕事を終えた男達が街に戻って来る。
汚れたボロ布を何枚もまとった、暗灰色の男達にまじって
ひとり青い髪の少年が、勢い良く街の門を開ける。
手には抱えきれない程の荷物。
大人達の先に立ちころがった石を
蹴飛ばして駈けて行く。


「こら!ブルー!!転ぶなよ!傷が入ったら値が下がる」

後ろに続く10人程の大人。
それぞれ手には折取った珊瑚や
大きなタイマイの死体、貴石の原石をかついでいる。
少年は広場まで止まらずに走った。

息を弾ませて、氷の地面を蹴る。
広場には早朝にも関わらず、たくさんの住人が待っていた。


「リラおばさん!」


少年は一目散に、大鍋をかき回している女の傍へ駆け寄った。


「でかいナイフ貸してよ」

「勝手に持って行きな」


女は大鍋に、大量の海藻を放り込みながら汗だくになっている。
少年、ブルーはどさり、と袋をおろすと
ボロ布の厚い外套を脱ぐ。

大事そうに畳むと汚れないよう脇に置いた。
汚れたところでさほど変わらないシロ物ではあったが。


袋にはタイマイ..海ガメと
食べられる肉厚の水妖が何頭か入っていた。
イルカに似た小型で比較的おとなしめの水妖。

大きなナイフでタイマイの甲羅と肉を解体して行く。
大鍋を沸騰させる焔の石の傍は暖かい。
手はかじかむ事もなく、肉片を積み上げて行く。

「おばさんが欲しい、って言ってた奴がいたから捕まえた」


水妖の肉を大鍋に放り込みながら、素早く煮えた貝を
つまむブルー。
女はこつん!と少年をこづくと
味見をしろ、とスープを椀に注いで渡した。


「あちい...」

ブルーはスープをすすりながら辺りを眺める。
大人達の狩りに混ざったのはつい最近の事だ。
こないだまでは子供達と資源を拾い集めるのが
仕事だった。

「リラおばさん、いい味じゃねえの?」

少し得意げに椀を置く少年。

「小僧ッ子が生意気な」

女はケラケラ笑って戻って行く少年を見送った。



大人が甲羅を回収して行く。捕る事を禁じられた海ガメや
希少珊瑚、資源、貴石、宝貝...

ブルーはそんなものより、肉や内臓、皮を取るのに夢中だった。
こんな日は広場で誰にでも食事が振る舞われる。
自分達もお腹いっぱい食べられる。


狩りについて行くのは楽しかった。
珊瑚のまわりには食べられる水妖が、ウヨウヨしている。
どこを刺し貫けば、一発で仕留められるかすぐに覚えた。
タイマイは甲羅を傷つけぬよう、大人達が仕留めた。


たくさん捕れば、珊瑚も楽に採れるし、食べ物が増える。
よその街で取り引きや、盗みの手引きをするより楽しかった。


食事時。
積み上がった肉は大鍋にどんどん入れられて行く。
ブルーもたっぷりのスープにいつもより
多めに入れられた肉を手渡された。


「他の連中が来る前に喰っときな」

「おばさん、ありがとう」

半分食べると、大きな椀を外套でくるむ。
こうしておけば冷めない。
賑やかな広場を急いで出て行く。
氷の路地。暖まった体で駈けて行く。
零さないよう慎重に。



「じいさん!いるかい?」


小さなほっ立て小屋を覗く。聞こえて来る高イビキ。

「ああ、やっぱし...」


勝手に上がり込み、イビキをかく老人の耳もとで怒鳴る。



「クソじじい、起きねえか!!こらー!」

「...んあー?」


小屋の主を無理やり起こすと大きな椀を差し出す。

「広場で待ってろって言っただろ。じいさん。酒ばっか
飲んでんじゃねーよ」


まだ暖かい椀を寝ぼけ半分のまま受け取ろうとする老人。

「駄目だって、じいさん
落とすからちゃんと置いて喰え」

「もうろく呼ばわりするな、ケツの青いガキが」

「べろべろじいさんが何言ってやがる」



古いスプーンを持つ老人の手は、小刻みに揺れながら
ズルズルとスープを口に流し込んで行く。

伸び放題の口髭と震える唇に
少年が頭を振る。


「なあ、じいさん..酒やめとけよ。悪いんじゃないか?」

「うるさいわい、ひよっこ。
わしゃあこう見えても不死身の男と呼ばれて
七つの海で財宝を探した凄腕の
トレジャーハンターだったもんよ」

「...こないだはジゴロって言ったよなー」


笑いながら突っ込むが、老人の話は面白かった。
いつもなにかしか食べ物と引き換えに
物語をせがみブルーは育ってきた。

今日は特別いつもより豪華な食べ物。
老人はいつもより大冒険の話を張り切って聞かせた。


「南の島の魔法のヤシにわしは初めて登ったんじゃ。
きれいな月の姫がおってな、わしに惚れて
不死身にしてくれたんじゃ。
海に帰る時泣かれて、そりゃあ困っ....」

カーっと痰を吐く老人。
いつもの事だ。見慣れている。

だがその日は血へど、と言った方が良かった。
しかも収まらない。



「じいさん、大丈夫か?言わんこっちゃない...」

背中をさすって収まるのを待つ。

「薬ないのかよ?じいさん」

「そんなもの、不死身のわし....」


ゴフゴフと血を吐く老人。
うろたえるブルー。
汚い床に血溜まりが広がる。
苦しさに体を折り曲げた老人は、呻きながら呟いた。
ひとりごとに近い。

「...アレがあったら... 」

「え?なんだって」

「夢の薬...あれさえありゃこんな苦しまんですむ。
酔うたように楽に...眠れるのに.....」

老人はブツブツと何度も
その名前を繰り返し呟いた。


「全く..薬の金も飲んじまうからだよ。
待ってな、じいさん」




異変に急いで飛び出す。
今日はいつもよりやばそうだ。
金なんか持ってないけど、薬さえあれば盗んじまえ。
飲ませて治ればこっちのもんだ。

リラおばさんにも聞いてみよう。
薬草に詳しかったし....
広場へ駈け戻る。外套は忘れたまま。




賑やかな広場、人の間を縫って大鍋のそばに立つリラを呼ぶ。

「おばさん!大変だ、べろべろじいさんが...」

「ブルー、どこに行ったかと思ったら...」

「血が...多いんだ。いつもより!」


息を切らせて叫ぶ。早く薬を持ってかないと。


「...あのじいさんなら、薬草を持ってっても
すぐ酒代に変えちまうんだよ。放っときな」

「放っといたら死んじまうよ!
ええと..そうだ
夢の薬が欲しいってどこにあるのか知らない?」


リラの眼が釣り上がった。

「ブルー!あんた何を持ってくだって!?」

「....え...薬に決まってるだろ。
だって....じいさんが...楽になるって...」

リラの剣幕にしどろもどろで答える。
半ば育ての親に近い存在。
しかも予想すらしなかった反応。

「そんなもの、子供が持って行くもんじゃないよっ!」

彼女は続けて激しい声を少年に叩きつけた。


「じゃあ、じいさん見殺しにするのかよ!」

なんて冷たいんだろう、そう思いながら
ブルーはリラを睨む。
いつも口は悪いが優しかっただけに。


「ブルー...あんた..そうね....
知らないんだね...」

少年の剣幕に思い直したように呟く女。
この少年は薬が治す治療のものだ、と思い込んでいる
そう判断したのだ。

『夢の薬』...安楽死の為の毒。
眠るように死ぬ事ができる薬。
生きる事に耐えられなくなった者が
財産を投げ打って求める最後の『夢』

公に使えずひっそりと
裏で流通している高価な薬。
当然スラムに生きる者が使うような物ではない。


「いいよ...あたしがひとつだけ持ってる。
死んだ亭主に使うつもりだったのが。
仕方がないね...」

リラが溜め息混じりに告げた。

睨んだ眼があっという間に
安堵の色と入れ代わるブルー。


「でもね、あたしが行くよ。
これはあんたが持って行くもんじゃない。
あんたは来ない方がいいから待っておいで」

「オレ、手伝う」

先に駆け出すブルー。
その後ろ姿を見て大きな溜息をつく女。
仕方ない、と歩き出した。


元来た道を走るブルー。すぐに薬が来る、と知らせてやりたかった。
目指すほっ立て小屋。
勢い良く飛び込む。じいさん、どんなに喜ぶだろう。



「!」











路地を歩く女。家から薬を持って来た。
薬学に詳しく、若い頃は中央の都市で薬を調合して
売っていた。この薬がどんな者に必要なのか
そして、調合方法も知っている。
だが作ったのは一度だけ。

亭主が妖魔に襲われて致命的な傷を負った日。
まだ若かった。

結局使わず、手を握りしめて見送った日の事を
今でも覚えている。



「ブルー?」


老人の小屋にいるはずのブルーがいない。
だが狭い小屋。
すぐに理由がわかった。


壊れかけたベッドに横たわる老人。
口元はきれいに拭き取られていたが
胸元に大量の血痕があった。

飲んだくれて皆から
べろべろじいさんと呼ばれていた老人。
酔っぱらっていない時の方が珍しかった。
嘘話ばかり並べ続け子供以外
誰からも相手にされなかった老人。


さんざん南の海や世界中の冒険を
語り続けた挙げ句
このスラムから出る事もなく死んだ。


とうの昔に予測されていた死。

夢を語り続けた男。
最後くらい『夢』があってもと薬を持って来たが....



そのまま外へ少年を探しに出る。




少し歩いた丘の上で彼は座っていた。


「風邪をひくよ」

外套をかける。少年は呆然と座っていた。


「ブルー、あんたのせいじゃない...」


子供にこんな薬を渡して、使わせるくらいなら
こうなった方がまだ良かったんだ。
女はそう思った。



「ブルー、よくお聞き。
あんたはもうすぐ大人になる。
もっと辛い事や悲しい事がたくさんある...
男の子だから乗り越えてかなきゃならないんだよ。

でもね....今は泣いていいんだよ..」



驚く程静かに泣く少年を見ながら
いつかここの子供達が必ず迎える
厳しい未来を考えていた。


この子は乗り越えて行けるだろうか...


こんな場末のスラム街だからこそ
子供くらい笑っていてほしい。
8割方の大人はそう考えている。この子がどうか
残りの2割の大人達のようにならぬ事を祈る。



自分は、ひたすら無事戻った子供達に
暖かい夕食を用意するだけだ、そう思いながら..



もうすぐブルーは15になる。