ぶらんこ
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2012年06月08日(金) 大義名分


耳に穴を開けたのはもう大昔のことだ。
まだ准看護学校を卒業したての頃で、定時制の高校に通いながら仕事をしていた。


職場は癩療養所の病棟で、3交替のうちの日勤の早番と深夜勤のみだった。
準夜勤はちょうど学校に行ってる時間だったから特別にはずして貰えた。今思うと、とても恵まれた環境だ。

あの頃のわたしはまだ17とか18とかだった。
日勤(早番)は確か6時とかから3時まで。それから学校へ行って帰りが10時頃。
深夜入りの場合、それから2時間ほどしか仮眠が取れない。
敷地内にある看護師寮に住んでいたが、目覚まし時計を止めてそのまま眠ってしまって、準夜勤のナースの電話で起こされることも度々あった。
そういう失態が続いてからは、学校から戻るとそのまま職場へ行き、仮眠室で眠らせて貰った。
そして時間前に準夜勤のナースが起こしてくれる。
あぁ、、やっぱりすごく恵まれた環境で仕事させて貰ったんだなぁ、、と、今になって思う。


ピアスはそういう時期に開けた。


仲の良かった同期のナースとふたりで深夜勤務になった夜だった。
彼女はもう以前からピアスをしていて、どうやって穴を開けるかーなんてことはもう何度も聞いていて。

その晩、耳たぶがとてもとても、痒かった。
痒いからといじっていると真っ赤になって、ますます痒い。
「今なら平気で穴だって開けられちゃうくらい、痒いよ!」
そんな冗談を言って笑った。いや冗談抜きで、耳を引きちぎってしまいたいくらいに痒かった。
「やっちゃう?」
あのとき友人Mが笑いながら言った。「開けてあげるよー」彼女の目は笑っていなかった。


こうして夜中の3時頃、Mは18Gのピンク針(注射針)でわたしの耳たぶを刺して穴を開けた。
材料には事欠かない。アルコール綿でしっかりと消毒してから、ブスーッと、潔く。
実はまったく痛くなかった。また不思議なことに、刺して貰ってから痒みを忘れてしまった。

が、もう片方の耳たぶは大変だった。なぜって、そっちは痒くなかったから。
なので、Mは氷片で耳たぶをしばらく冷やして知覚神経を麻痺させ、それから丁寧に消毒し、同じように穴を開けてくれた。
こちらのほうは、「いい?行くよー」「ちょっちょっと待って!」ってなことを数回繰り返した後に。
もちろん、痛みを伴った。結構、痛かった。
ピンク針の貫通する様子までじわりと感じた。表面を刺すときと突き抜けるとき、2度、痛かった。
それは身体的な痛みであり、「いいよ」と言った自分の言葉の重みから来る痛みでもあった。


あぁ!とうとうとうとうとり返しのつかないことをした、、、!


終わった後には、大袈裟かもしれないけれどちょっと震えた。
凄いことをしてしまった! ってね。

今じゃ極々普通の行為なのかもしれないが、当時はまだそんなには広まってなかったし。
ピアスをするひとというのは、ヤンキーと呼ばれる姉ちゃんたちか、或いはちょいハイファッションな連中か。
(後者の場合、そのような概念さえもが前者に含まれてしまうくらい、世には知られていなかったかもしれないが)

で、わたしの場合。
わたしの場合は・・・ヤンキーのお姉ちゃんにまやくらかされて(?)舞い上がってしまった。のかも。

そう。それは確かに誰かから影響された結果だった。が、自分なりに少しは迷って、そして決めたこと。
あの夜、いきなり覚悟が出来て、よっしゃやるど!となったのだ。
ある意味、何かの儀式みたいなものだった。
仕事のことも学校のことも、自分のなかでどこか納得していない部分があったから。
そういうことは誰にも言わなかったけれど、いつもどこかで、悶々としていた。
何かが違う、そう信じていた(思い込んでいた)時期だったようにも思う。


自分を痛めつけることになるという意識はもちろんあった。
自傷行為のひとつだともわかっていた。
イヤリングは耳たぶが痛くなって出来ないからとか、取り外しが面倒だからとか、周囲にはそういう説明もしたが、それは取って付けたもの。
本当のところ、そんなことはどうでも良いことで、何かしらの儀式が必要だった。
やってやるー的な。


たぶん、自分の身体を痛めつけることで、何かを確かめたかった。

そういうことなのだろうと思う。


結果、何かわかったか?というと・・・

17、18のひよっこだからね。なーんもわからんかったよ。
わからんかったが、まぁやってしまったことへの重さみたいなのは感じた。



あれから約30年・・・(ひぇ〜!!!)
ピアスを開けたことはまったく後悔はしていない。
だが、場所がちょっとなぁ、、、とは思う。
思うので、新しく良い場所にひとつだけ開けてみようかなとかも思ったりする。(これには別の事情もあるが)


が、ではやるか? となると、大昔のようにはいかない。
どこかで尻込んでいる。痛いのは嫌だと思ってしまう。
それに、そこまでの価値を見出せない。
ピアスを開けたからこそ知った、自分の肌の敏感さもあり。


こんな風に躊躇するのは、自分が大人になったからなのか老いてしまったからなのか。
何かの儀式を求めるような、うずまくエネルギーがなくなったのか。
それとももう、自分というものを確立した?とか???

否、

何かを確かめたいのなら、自分を表現したいのなら、
ただもう、自分を傷つけない方法にする。

そういうことだ。




今、ピアスはたまーに付ける。
小さな石のピアスだったら付けてもいいかなと思うが、これまで何度かお気に入りのピアスを失くして、今はシンプルなのがない。


欲しい石があるので、それをいつか良いときに手に入れようと思っている。
自分の好きな、これだ!と思うような、そんなものを。











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