ぶらんこ
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眠るときにふと思い出した。
中学の頃、体育祭でフォークダンスを踊らされた。 踊らされた、という言い方はおかしいが的を得ている。なぜって、自発的に踊ったわけではないから。 ずっと昔からの伝統なのだろう、男女混じって、輪になって、フォークダンス。 振り付けがあって、それを覚えて皆一緒に踊る。
本来ならば、音楽に合わせステップを踏み、自然と身体が弾んで笑顔がこぼれる。 そういうものだろう、ダンスというものは。 で、そこのところを引き出したかったのだろう、センセイがた/キョウイクシャがたは。 しかしその意図はうまく作用してなかった、残念ながら。
あぁでも、そんなこともなかったか。皆それぞれに、影響はあったと思う。 ただ、はじける程に楽しめるような年齢に達していなかっただけなのかもしれない。 もちろん中には心から楽しんで踊っている子もいたかもしれないが。 あの頃のわたしたちは、男子も女子も、気になるひとと手を繋ぎ合う瞬間を心待ちにしながら、 しかし心内を知られぬようにと細心の注意を払いながら、はにかみつつ、踊ったのだ。 永遠に続きそうな、あののんきなリフレインとともに。
フォークダンスの曲とともに蘇るのは、いつも友人の顔。 けっして顔をあげることなく、真っ赤になってうつむきながら踊っていた彼女。 揺れる黒髪。細い脚。困ったような顔。少し怒っているようにも見えるくらいの。
わたしは、彼女の意中の男の子が彼女のところまで順番がまわりますように、と、祈る思いで見ていた。 彼がひとつ近付く毎に、彼女はますます視線を落とす。わたしははらはらしながら、でも自分の顔がにやけていくのがわかる。 マイムマイムーまだ終わるなー!!オクラホマミキサーあとふたりー!! そんな気持ちだった。
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「マイムマイム」というのはイスラエルの楽曲なのだそうだ。 加えて、「マイム」とはヘブライ語で「水」という意味らしい。 国を建て、新しい息吹きのもとに未開不毛の地に希望の「水」をひいて開拓にはげむ喜びをあらわした歌である wikipedia なるほどあのリフレインにはそんな想いが込められていたのか。 こういうことも教えて貰っていたら、或いはもっと楽しく踊れたかも???
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この前、夫がふざけていきなり踊り出したので驚いた。 「凄い!踊れるんじゃん!!」叫んでしまった程だ。まがりなりにも形になっているし。 それより何より、彼があのように体で表現すること自体に驚いたよ。素直。オープン。のびのび。
いつもそうやって踊ってよ、と頼んでみた。楽しいよ、そういうの、とっても良いよ、と付け加える。 僕だってこれくらい踊れるさ、と夫は答える。 なんて素敵なことだろう。いいよいいよ、すごくいいよ。かなり感動したわたし。大笑い。でも、真面目な気持ち。
わたしは・・というと・・・実は暮らしの中でよく踊っていた。 こころさんが小さかった頃なんか、毎日のように踊った。 おっぱいダンス、ぶっか踊り、脚ダンス、へんてこ踊り。
今はコズモと一緒に踊っています。 ズン チャッチャ ズン チャッチャ ター(ズン) ラー(チャッ) ラッ(チャッ) ラー(ズン チャッチャ ズン チャッチャ) コズモはわたしの両肩に前脚を置き、彼の両脇?を支えるわたしの手を口の中へ入れようとする。 嬉しくて楽しくてしかたがないのだろう。実際に強く噛むことはないけれど、ときどきガブリ、と来る。痛いよ、やめてよ。 ワルツのリズムが単調過ぎるのかもしれないな。でも、まずはワルツをマスターして貰わんことには。
ダンスと言えば・・・実は、八月踊りを習いたい。と、願っている。 「習う」というようなものじゃないのかもしれないけれど。 八月踊りに使われる島唄も習ってみたいなぁ。言葉を、その意味を。 そうしたら、身体は自然に動き出すような気がする、島唄に導かれて。 この腕はやわらかく伸び、宙を撫で、揺らす。この脚は力強く大地を踏み、音頭をとり、軽やかに跳ねる。 顔をあげ、空を仰ぎ、山に、海に、愛するひとに、感謝の心を差し出す。 ヤッサイ ヤッサイ ヤッサイ ヤッサイ 誰かがハトを鳴らす。いよいよ唄声にもさらに気持ちがこもる。 ありがっさま ありがっさま かなしゃ かなしゃ
想像ね・・・。 これまで一度も八月踊りをしたことのない(あの輪に加わったことのない)自分だが、歳とともに心の底から動き出せそうな何かを感じている。 だから、今ならば踊れそうな気がする。 あっ、もちろん、せぇの力を借りることになると思うが。
ところで、島の中学校なんかは、フォークダンスじゃなくて八月踊りをさせるといいのにね。 集落によっては高校生からとなっているけれど、自治体に任せるのではなく、学校にも取り入れたらいい。 少なくとも、フォークダンスよりよっぽど島っちゅに合ってる。 島っちゅの心には、魂には、島唄がたゆみなく流れているから。 体育祭に来ている大人たち、親もじーさんばーさんもセンセイがたも、みんな揃って踊り出すだろう。 それこそ、豊かな教育。じゃがなー、っち、思うど〜。
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