ぶらんこ
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2011年06月05日(日) コーキョーヨーリ

毎週土曜日はデンドーカンでコーキョーヨーリだった。
昔はコーキョーヨーリと言わずケイコと言っていたような気がする。なぜに「稽古」なのかわからない。
祈りの暗誦とかがあったので、そう呼んでいたのか?寺小屋的な意味合いか?


コーキョーヨーリというのは「公教要理」。
カトリック要理、カトリック教義という意味で、いわば「日曜学校」のことだ。が、当時、日曜ではなく土曜の午後にあった。
土曜日は学校が半日だったので、学校から帰って家で昼ご飯を食べて(土曜の昼はいつもイトメンラーメンだ)、
確か2時とか2時半くらいからコーキョーヨーリへ行った。今の時代でいう「学童」のような役割もあったのかもしれない。


デンドーカン(伝道館)はオミドウ(御堂=教会)の隣だ。
信徒たちのための会堂であるデンドーカンはオミドウと違って、こどもらは声を出したり笑ったり泣いたり遊んだり出来る。
コーキョーヨーリは好きじゃなかったけれど、友達と一緒なので遊びの延長みたいな感覚だった。
祈りの暗誦も適当だったし、神父さまの話もさらっとしか聞いていなかった。
問題のようなものを出されると、どうやって答えるかと周りの友達らと目を合わせたし、実際、覚えなくともなんとかなった。

年齢が上がるにつれ、祈りの暗誦に指されることはなくなった。きっと暗誦出来ているものと思われたのだろう。
また、祈りよりも教義的な、より踏み込んだ内容が主となったのだろう。
「お告げの祈り」は今でもあやふやだ。昔からぴしっと最初から最後まで唱えられた試しがない。
わたしがしっかりと唱えることの出来る祈りは、少ない。とてもとても少ない。
その上、数年前に祈りが文語体から口語体に変えられた。まだわたしたちがテキサスにいた頃だ。
よって、新しい祈りのほうもいまだに覚えておらず、古い文語体でしか唱えられない。
その点、母ちゃんは凄い。新しい祈りもすらすらと唱える。
大昔のゴミサ(ミサ)はラテン語だったというから、母ちゃんはラテン語、文語体、口語体のトリリンガルだよ。



コーキョーヨーリの日、家に迎えに来てくれるのはまーきだった。同じ歳の従兄弟。
まーきはいつも「まぁーこさーん、行ーこぉぅー」と声をかける。
普段は呼び捨てなのに、コーキョーヨーリの迎えのときだけ、さん付けになった。
あの、まぁーこさーん、行ーこぉぅー、という、歌うようなかけ声が忘れられない。
今日はコーキョーヨーリは行かん、と思っていても、まーきが呼びに来ると、いっぎりぃーとか言いながらも、一緒に行った。


なんでまーきはいつもうちに寄ってくれたのだろか?
イサコーバ(叔母さん)に言われてやっていたのだろうか?
それとも母ちゃんに言われてやっていたのだろか?


幼い頃のまーきはいつももじもじしている恥ずかしがりやだった。
わたしは男勝りで、そんなまーきを引っ張っていたところがある。
ちょびっと、ヒンナブッテイタ部分もあったと思う。
あぁ、、まさか、まさか、、、「呼びに来いよ」とでも命令していたのだろか???
もしそうだったとしたら、、、なんと恐ろしい、、、ごめん、、、


まーきはとても優しい男の子だった。
優しかったまーきのことが大好きだった。








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