ぶらんこ
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毎週土曜日はデンドーカンでコーキョーヨーリだった。 昔はコーキョーヨーリと言わずケイコと言っていたような気がする。なぜに「稽古」なのかわからない。 祈りの暗誦とかがあったので、そう呼んでいたのか?寺小屋的な意味合いか?
コーキョーヨーリというのは「公教要理」。 カトリック要理、カトリック教義という意味で、いわば「日曜学校」のことだ。が、当時、日曜ではなく土曜の午後にあった。 土曜日は学校が半日だったので、学校から帰って家で昼ご飯を食べて(土曜の昼はいつもイトメンラーメンだ)、 確か2時とか2時半くらいからコーキョーヨーリへ行った。今の時代でいう「学童」のような役割もあったのかもしれない。
デンドーカン(伝道館)はオミドウ(御堂=教会)の隣だ。 信徒たちのための会堂であるデンドーカンはオミドウと違って、こどもらは声を出したり笑ったり泣いたり遊んだり出来る。 コーキョーヨーリは好きじゃなかったけれど、友達と一緒なので遊びの延長みたいな感覚だった。 祈りの暗誦も適当だったし、神父さまの話もさらっとしか聞いていなかった。 問題のようなものを出されると、どうやって答えるかと周りの友達らと目を合わせたし、実際、覚えなくともなんとかなった。
年齢が上がるにつれ、祈りの暗誦に指されることはなくなった。きっと暗誦出来ているものと思われたのだろう。 また、祈りよりも教義的な、より踏み込んだ内容が主となったのだろう。 「お告げの祈り」は今でもあやふやだ。昔からぴしっと最初から最後まで唱えられた試しがない。 わたしがしっかりと唱えることの出来る祈りは、少ない。とてもとても少ない。 その上、数年前に祈りが文語体から口語体に変えられた。まだわたしたちがテキサスにいた頃だ。 よって、新しい祈りのほうもいまだに覚えておらず、古い文語体でしか唱えられない。 その点、母ちゃんは凄い。新しい祈りもすらすらと唱える。 大昔のゴミサ(ミサ)はラテン語だったというから、母ちゃんはラテン語、文語体、口語体のトリリンガルだよ。
コーキョーヨーリの日、家に迎えに来てくれるのはまーきだった。同じ歳の従兄弟。 まーきはいつも「まぁーこさーん、行ーこぉぅー」と声をかける。 普段は呼び捨てなのに、コーキョーヨーリの迎えのときだけ、さん付けになった。 あの、まぁーこさーん、行ーこぉぅー、という、歌うようなかけ声が忘れられない。 今日はコーキョーヨーリは行かん、と思っていても、まーきが呼びに来ると、いっぎりぃーとか言いながらも、一緒に行った。
なんでまーきはいつもうちに寄ってくれたのだろか? イサコーバ(叔母さん)に言われてやっていたのだろうか? それとも母ちゃんに言われてやっていたのだろか?
幼い頃のまーきはいつももじもじしている恥ずかしがりやだった。 わたしは男勝りで、そんなまーきを引っ張っていたところがある。 ちょびっと、ヒンナブッテイタ部分もあったと思う。 あぁ、、まさか、まさか、、、「呼びに来いよ」とでも命令していたのだろか??? もしそうだったとしたら、、、なんと恐ろしい、、、ごめん、、、
まーきはとても優しい男の子だった。 優しかったまーきのことが大好きだった。
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