ぶらんこ
index|past|will
誕生日前におめでとうメールが何通か届いていた。 一日早くお祝いしていただいて、なんだか得した気分になった。 (でも考えてみれば、日本で生まれたのだからそちらの時間に合わせるべきかな?) ふっと思い出してぱっと書いたのか、その日を待っていて書いたのか。 どちらにしても・・・一緒にお祝いしてくれる友に、ありがとう。
長いこと音信不通であった友人からもメールが来ていた。 彼らのうちの何人かは、たぶんここは見ていないし、存在さえも知らないと思う。 だから尚のこと、わたしを思い出してくれたこと自体が嬉しい驚きだった。
気持ちがあって行動を起こす。というのはシンプルなようでいて、それがなかなか。 というのも、「起動」しないことのほうが多いような気がするからだ、少なくともわたしの場合。 あれこれ要らんことを考えたり(あちらの都合とか)ただ単に後回しにしたり(こちらの都合)で、タイミングを逃してしまう。
あぁ・・若い頃はそんなでもなかったのになー。 と、誕生日を迎えてしみじみする。
気持ちと行動とがしっかり結びついているのって、素敵なことだ。 すぱっとしている。気持ちが良い。 義理堅いとかマメとかではなくて、心と体とが素直に繋がっている。という意味で。 それが本当のタイミング=「星の時間」なのだろう。 また、すなおな心というのはあらゆる制約から遠ざかる。ということなのかも。今ふと思いついたのだけれど。
・・・
誕生日の夜は、外食だった。スカさんの密かな計画だったのだと思う。 もしかしたらサプライズ・パーティーだったのかもしれないが、夕方にかかってきた義弟からの電話をわたしが取ってしまった。 その後、「皆でメキシカン・レストランに行こう、ってことになった」と言われた。
正直・・・わたしは気分を害した。
なんで「皆で」なわけ? なんであの店なわけ? あー腹立たしいったら、ありゃしない! ぐだらぐだらぐだら・・・
怒りながら、わたし自身、驚いてしまった。一体、どの地雷を踏んだのやら?
せっかくの誕生日が台無しじゃーんと嘆きつつ、これではただのひねくれ・天邪鬼じゃないか。と、わかっているだけに、尚、腹立たしい。 じゃぁどうするよ?と、自問。43歳にもなってこんなんじゃいかんでしょう。
カチ・カチ・カチ・カチ・・・30分くらいして、気持ちに整理がついた。 不思議と・・・怒りもおさまった。(あー書いていて、バカバカしい。笑)
約束の時間にレストランへ行くと、そこには既に義母たちが大きな贈りものを携え、満面の笑みで待っていた。 ハッピーバースデイ!とさんざん言われ、サンキューサンキューと答える。 嬉しいんだけど・・・いやーーーやっぱり恥ずかしいワケよ。 でも、ウェイトレス達がテーブルに集まりハッピーバースデイの歌を歌うというサービスを頼んでなかったことには感謝だった。 (そんなことされたら、もう・・・無理・・・) 頼んだマルガリータも食事も、とっても美味しく、嬉し恥ずかし、そして楽しい誕生日の夜となった。 後になってから、こんな場を設けてくれたスカさんにも感謝だった。 思えば怒る理由なんて最初からなかったのだ。というか、本当の理由は違ったのだから(大抵そんなモン)。
・・・
懐かしいピアノ曲集を聴きながら書いている。 ずっと前にファイルしておいたものだけど、そのことさえ忘れていたなぁ。。。 ちょっと錆び付いてきてるのか?油を足さないかんなー。 忘れてもいいけど、その分何かを入れないとね。
歳とともに忘れることが増えるのは仕方がない。 ある意味、結構なことだとも思う。こだわりはどんどんはずしていきたい。 何かに執着するのは不満の元だ。不満は怒りを呼び起こす。
そう言えば、「怒り」というのは、忘れていた(と思ってた)何かを思い出して噴出すことでもあるみたいだ。 それは「忘れなさんなよ」と、その処理のツケがまわってきたようなものかも。 きちんとした処理をして初めて、しっかり忘れられるのかもしれないな〜。
話が逸れた。
・・・
とにかく、自分で自分を縛り付けることなく、もっともっとおおらかでありたい。
というのが、43歳になった日に思ったこと。
|