ぶらんこ
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2008年11月17日(月) すなほ

誕生日前におめでとうメールが何通か届いていた。
一日早くお祝いしていただいて、なんだか得した気分になった。
(でも考えてみれば、日本で生まれたのだからそちらの時間に合わせるべきかな?)
ふっと思い出してぱっと書いたのか、その日を待っていて書いたのか。
どちらにしても・・・一緒にお祝いしてくれる友に、ありがとう。

長いこと音信不通であった友人からもメールが来ていた。
彼らのうちの何人かは、たぶんここは見ていないし、存在さえも知らないと思う。
だから尚のこと、わたしを思い出してくれたこと自体が嬉しい驚きだった。


気持ちがあって行動を起こす。というのはシンプルなようでいて、それがなかなか。
というのも、「起動」しないことのほうが多いような気がするからだ、少なくともわたしの場合。
あれこれ要らんことを考えたり(あちらの都合とか)ただ単に後回しにしたり(こちらの都合)で、タイミングを逃してしまう。

あぁ・・若い頃はそんなでもなかったのになー。
と、誕生日を迎えてしみじみする。


気持ちと行動とがしっかり結びついているのって、素敵なことだ。
すぱっとしている。気持ちが良い。
義理堅いとかマメとかではなくて、心と体とが素直に繋がっている。という意味で。
それが本当のタイミング=「星の時間」なのだろう。
また、すなおな心というのはあらゆる制約から遠ざかる。ということなのかも。今ふと思いついたのだけれど。


 ・・・


誕生日の夜は、外食だった。スカさんの密かな計画だったのだと思う。
もしかしたらサプライズ・パーティーだったのかもしれないが、夕方にかかってきた義弟からの電話をわたしが取ってしまった。
その後、「皆でメキシカン・レストランに行こう、ってことになった」と言われた。

正直・・・わたしは気分を害した。

なんで「皆で」なわけ?
なんであの店なわけ?
あー腹立たしいったら、ありゃしない!
ぐだらぐだらぐだら・・・

怒りながら、わたし自身、驚いてしまった。一体、どの地雷を踏んだのやら?

せっかくの誕生日が台無しじゃーんと嘆きつつ、これではただのひねくれ・天邪鬼じゃないか。と、わかっているだけに、尚、腹立たしい。
じゃぁどうするよ?と、自問。43歳にもなってこんなんじゃいかんでしょう。

カチ・カチ・カチ・カチ・・・30分くらいして、気持ちに整理がついた。
不思議と・・・怒りもおさまった。(あー書いていて、バカバカしい。笑)



約束の時間にレストランへ行くと、そこには既に義母たちが大きな贈りものを携え、満面の笑みで待っていた。
ハッピーバースデイ!とさんざん言われ、サンキューサンキューと答える。
嬉しいんだけど・・・いやーーーやっぱり恥ずかしいワケよ。
でも、ウェイトレス達がテーブルに集まりハッピーバースデイの歌を歌うというサービスを頼んでなかったことには感謝だった。
(そんなことされたら、もう・・・無理・・・)
頼んだマルガリータも食事も、とっても美味しく、嬉し恥ずかし、そして楽しい誕生日の夜となった。
後になってから、こんな場を設けてくれたスカさんにも感謝だった。
思えば怒る理由なんて最初からなかったのだ。というか、本当の理由は違ったのだから(大抵そんなモン)。


 ・・・


懐かしいピアノ曲集を聴きながら書いている。
ずっと前にファイルしておいたものだけど、そのことさえ忘れていたなぁ。。。
ちょっと錆び付いてきてるのか?油を足さないかんなー。
忘れてもいいけど、その分何かを入れないとね。


歳とともに忘れることが増えるのは仕方がない。
ある意味、結構なことだとも思う。こだわりはどんどんはずしていきたい。
何かに執着するのは不満の元だ。不満は怒りを呼び起こす。

そう言えば、「怒り」というのは、忘れていた(と思ってた)何かを思い出して噴出すことでもあるみたいだ。
それは「忘れなさんなよ」と、その処理のツケがまわってきたようなものかも。
きちんとした処理をして初めて、しっかり忘れられるのかもしれないな〜。



話が逸れた。


 ・・・


とにかく、自分で自分を縛り付けることなく、もっともっとおおらかでありたい。

というのが、43歳になった日に思ったこと。






marcellino |mail