ぶらんこ
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錬金術。
『黄金をつくり出す技術の追究を中心とし、不老長寿の霊薬の調合と重なり合う中で、 広く物質の化学的変化を対象とするに至った古代・中世における一種の自然学。 中国・インド・アラビア・西欧など、それぞれに宗教・哲学と結びつき固有の内容をもつ。 中世ヨーロッパでは、アラビアで体系化されたものが精緻化され、 種々の金属の精製や蒸留・昇華法など化学的な知識の蓄積を見、近代化学の前史的段階をなした。』(goo辞書より)
錬金術とは、簡単に言えば鉛を金に換えること=物質の組成を換えること。 錬金術師は、その方法を学ぶなかで(「賢者の石」という存在もあるようだが)、物質の変換の「真の意味」を見出す。 のではないかなぁ・・・と、いうのが、わたし個人の考え。
『鋼の錬金術師』というアニメがある。 初めてこのアニメを見たときは、驚いた。 悲しい場面が多い。 怖ろしい場面もある。 常に破壊が伴う。 死んだり、殺されたりする。 壊され、そして、創られる。 これらを、子どもたちがどのように受け取るのかは、わからない。 ただ、このようなアニメが存在すること自体に、世界がどこかに向かっているようにも思う。 そしてその向かう方向は、間違ってはいないように思う。
September 11th. あれから3年だ。
世界はどう変わったのだろう。。。 マイケル・ムーア監督の映画「華氏911」が話題を呼んでいる。 この映画は、観るのならこころと一緒にと決めてある。 たぶん非常に偏った作品なのだろうと思うのだけれど、それでも観に行くつもりだ。 今、世界が動いているように思うから。
あの日から、わたしの中で何かが変わったように思う。 壊され、生まれたものがあるように思う。 それはただのちいさな石なのかもしれない。 まだまだ磨かれなくてはならない、なんでもない石なのだろうと思う。 そして、その方法をよく知らないでいる。 だから困ったり、持っているのが辛くなったり悲しくなったりする。
でも、投げ捨てようとは思わない。 何かに換わるような予感がするし、何かに換えるのは自分自身だと知っているから。なのかも。
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