スイス日記
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2004年11月15日(月) 私なりの答え

エヴァンゲリオンもハリポタも人間の閉じ方の度合いは違うけれども、テーマは同じだと思います。(ってテレビ見てないのに言っちゃっていいのかーと一応つっこんでおく。)

ハリーには両親がいなくて、自分はなあーんにもとりえのない人間だと思っていたのに、突然、魔法使いであることがわかって、なのに、一緒に暮らしているおじさんおばさんは魔法使いの存在すら認めてくれない。
自分の唯一の存在理由である魔法世界なのに、周りの友達は結構冷たく、ハリー自身を見て評価せずに、いっつも噂やら新聞やら5巻なら情報操作に惑わされて、ハリーの評価を決める。

例えば、2巻の話。
ハリーは魔法使い全員の敵であるヴォルデモードにしかできない、蛇と話せるという特技を持っていることが判明します。
ハリーは勇者の集まりであるグリフィンドール(学校のクラスみたいなもんです。)の一員のはずなのに、蛇と話せるということがわかっただけで、みんなあいつはスリザリン(簡単に言うとヴォルデモードの手下がいっぱいいるクラス)の一員だと手のひらを返した態度を取るようになります。1巻でハリーが敵を一度倒しているにも関わらずですよ。

こういうのって、ほんと実社会を反映してると思うんですが。
いいことはなかなか評価されないけど、悪い噂は一瞬にして広まって、それでその人の評価が決まってしまう。よくあることですよね。

で、ハリーは悩みます。そう言えば、組分けの時も、組分け帽子はどっちにいれるべきか悩んでたなあ。もしかしたら、自分は本当はスリザリンなのかもって。
ハリーがどのクラスに入るべきかというのは組分け帽子っていう話ができる帽子が決めるんですが、組分け帽子はハリーにはフリフィンドールの才能もスリザリンの才能もどっちもあるからどっちに入ってもいいなあと思うんです。で、ハリーはその時、スリザリンはぜったいにいやだ!いやだ!って叫ぶんです。
で、組分け帽子は、それならグリフィンドールに入りなさいと入れてくれるわけです。

私、これが真実だと思うんです。
他人の評価なんて、案外ころころ変わるし、その人の希望とか思惑とかも入ってくるとどれが本当なのかさっぱりわからない。
もっと高いところからいろんなことを見渡してるはずの組分け帽子ですら、その人の適性を決められないんです。
で、だれが決めるか。
本人が、スリザリンはいやだ!と思うなら、それでいいんですよ。

もちろん、世の中、グリフィンドールかスリザリンかなんて簡単な二者択一なんてほとんどなくて、どんな問題も、こっちはこれがいいけど、こっちはこれがいいなあっていうどっちがいいかなんてなかなか決められない問題ばっかりです。いっつも決められなくて右往左往してしまいます。
でも、それでも、自分がこれだけは嫌だって思うことを避けて生きて行ければ、避けられるようにちゃんと生きて行ければ、それでいいんだと思います。

ハリポタの中にはちゃんとした大人も汚い大人もいっぱい出てくるし、ちゃんとそれなりの答えも用意されてます。落ち込んだ時には1巻、2巻がおすすめ。
エヴァンゲリオンにはまってたような人が読むと救いがあると思うけど、そういう人はハリポタ読まないですよねー。きっと。


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