泡沫の記
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2004年10月01日(金) senseの欠如


ドトールでコーヒーを飲みながら、知人への手紙を書く。
フジ子・ヘミングのCDを聞きながら。

私の書くものはどれも長く要領を得ない。
簡潔にまとめたいのだが、どうしてもデティールを多く書き過ぎる癖がある。2時間近くかけて、ろくでもない手紙を書き終えて、郵便局にて投函。

昔、仕事の原稿を書くときからの癖だが、まずは一通り書いてしまう。途中にうまく表現できていないところがあっても、とにかく進める。当然、脇道が無駄に多く、文章も一貫していない。

それから、最初に戻って読み直し、書き直したり 付け足したり 勿論、削除もする。
それを何度も繰り返す。時間と根気のある範囲で。その作業は果てし無く続き、終わりというものがない。結局、いつもどこかで自分に妥協しながら書くことになる。

完璧なものなど ありはしない。
それでも、私には決定的なものが欠けている。
いわゆる文才、senseがないのである。それどころか、まわりくどい分だけ 読みにくい文章になってしまっている。
それがわかりながら、自分の能力ではどうすることもできないのは 本当に残念だと思う。


昨日から、知人宛のメールを送るために、悪戦苦闘している。
Eメールアドレスを知らないのだが、同じ会社のものなので1回につき 128文字以内でメールが送れる。思いつめた内容なので、どうしても長くなる。最初に全部書き終えた時は計8通分になった。いつもより、より言葉を選んでいるので 一通り書く(打つ)だけでも2時間近くかかった。そこから何十回も、校正を重ねる。かかった時間は4時間を超えた。夜が明けそうになり、一旦、保存して休む。

それから3時間後、今朝になって読み直して また直し。
用事をすませては、時折書き直し、結局最初の半分、4通分のメールにまで縮小した。言い直しもあれば、散々書き直したのに大幅にカットしたところも随分あった。でも多分、あと数時間かけて ひたすら校正を繰り返すことだろう。

根がせっかちなので、こんなに迷い 時間をかけるのは私としては珍しい。

私に与えられた ささやかな切り札は たった1度しか使えない。
チャンスはたった 1度だ、たった1度。
たった1度で 最大限の効果をあげなければならない。
おぼろげな[的]を 外してはならない。

携帯メールという狭いフィールドの中では 1文字の無駄も許されず より削ぎ落とした中で 完成度をあげなければならない。
最終的には私の負けは決まっているので、私の文章は一矢報いたのか どのぐらい有効であったのか または全くもって無効であったのかすら 知ることはない、たぶん。


波ちどり |MAIL

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