2006年04月01日(土)
幸福論
3月も最後の日、 早朝に父親から連絡があり、 祖母の訃報を受ける。
タイミングがよい というのは不適切だろうが、 私は仕事の最終日であり、 翌週から休みだったのでちょうど帰省しよう かと思っていたところで、 日付的にも 土曜日に通夜 日曜日に葬式の運びとなり 単身赴任の父もちょうど帰宅するところだったし 比較的スムーズに一同が会した。
いっそ一命を取り留めない方が幸せだったのではないか と思っていた 先が見えなくて曇り 空のようだった祖母の容態は こうして見ればとても大切な時間を与えてくれ、 母は半年かけて気の済むように介護をし、 そして少しずつ別れの覚悟を決めることができた のか、だいぶ晴れ晴れとした表情をしていた。
祖母の顔は安らかで とても病気をしていたようには見えなかった。 筋肉が衰えないように と、日々母や従姉妹が頬をさすっていたのだ。 それにしても滑らかで綺麗な肌。
最近の葬式は結婚式とそう変わらず、 セレモニーホールを借りて行えば その従業員が送迎から引き出物から料理から手配してくれる。 えらく事務的なその取り仕切り感はしばし感傷を忘れさせてくれ、 しかしその物腰はどこまでも遺族に優しい。 妙に俗っぽい雰囲気の若い住職の読経を聞いて 下手っぴな文字の卒塔婆を眺めながら葬式は進行していき、 不意に母親が泣き出した時はぎゅうと手をつないでなだめる。
核家族の象徴的な 両親と一姫二太郎な4人家族で育った私は、 祖父母との思い出は盆暮れ正月しかなく、 そんな帰省の習慣も私が中学生になる頃にはもうなくなっていて 実感的な悲しみというのは直接的な祖母の死 よりも母親が泣いている方に大きくあった。
それでも献花の時に 赤らんだ頬と、薄紅色の唇に化粧された 祖母のきりりと口を結んだ顔を見た時には込み上げてくるものがあった。 生前は、まったく化粧気がなく、 私の顔を見るなり破顔して呼び掛けてくれたおばあちゃん。
まるで生きているみたいな というには、生前の祖母とは正反対の風情だったけれど それがかえって祖母の死を実感させた。
東京で就職が決まらないままこの春卒業した従兄弟は 祖母をきっかけに実家にUターンすることを決め、 祖父の面倒を見ながら働くそうだ。 私と同い年の従姉妹も 祖父を介護施設や病院に送り迎えできるよう、 冬が来る前に免許を取り、 真ん中の従姉妹も家を出て住み込みのバイトを転々 としていたのを実家近くで勤め始めた。
この葬式で久しぶりに勢揃いだな、 と叔父さんが笑う。 あぁ、おばあちゃんがいなくなっちゃったけどね。
祖母の棺桶をみんなで囲むように座り、 ほら全員揃ったねぇ なんて言いながら、
祖母は最期まで幸せな人だったなぁと思った。
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