うわの空日記


ワルシャワに暮らす主婦ゲラッチの日常です。

2004年07月14日(水) ビッチ考

ビッチって言葉は日本人でもみんな知ってるよね。
何年か前にはBitchってロゴの入ったTシャツを日本の若い娘さんたちが着てて、新聞の投稿欄で物議をかもしたりしてたし。

日本語訳だと「あばずれ」とか「雌犬」だと思うんだけど。確かに語源はそうなんだけどさ、実際アメリカで使ってた頃はあんまりそういう意味で使ってなかったな。
アメリカで「Bitch!」って言うのは、性格の悪い(と思われる)女性に対して。「クソババア!」って感じ? だから学校の先生やカフェテリアのおばさんに(面と向かっては言わなくても聞こえるように)「Bitch!」とか言ってた。今にして思うとガラの悪い生徒だったのね、私。
逆にあばずれとかヤリマンな女の子の事はビッチとは言わずに「ho(Whoreの略)」とか「Slut」とか使ってた。だから英語のできるポー人が「あの子は尻軽」みたいな意味でビッチって言葉を使うのにちょっと違和感がある。

自分では嫌いな人に吐き捨てるくせに、実はビッチって呼ばれるの好きだったりする私。いや、だからって皆さんにビッチと呼んで欲しいわけではありません。

でもアメリカでビッチ呼ばわりされると、「ふふん」とか思ってた。だってそれって負け犬の遠吠えじゃん。それなら勝ち組じゃん私。
なめきってる相手には言わない言葉だしね、ビッチって。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇


アメリカに住んでた頃は相手になめられないってが非常に重要だった気がする。常に威嚇、常時アグレッシブ、みたいな。
若かったのね、で済ませちゃっても良いのかもしれないけど、もうちょっと掘り下げて考えてみると。

16歳でアメリカの高校の寮に入って、自分も周りもまだ子どもって環境での集団生活ってのは、今思い返しても結構サバイバルだったと思う。プライバシーは無いし、徹底的に管理された日常生活だったし。ストレスいっぱいで、周りとの衝突も絶えないし。(私だけじゃなくて、周りみんなね。)

集団生活って自分のエゴとモラルがこてんぱんにされる。優しくしてたら利用されるだけ。貸したものは返ってこないし、なのに自分が何か必要で誰かに借りに行くと誰も貸してくれない。
他人の問題は他人の問題と割り切って係わらないようにしないと、延々と際限なく誰かしらが問題を抱えてる。
英語も下手な日本人って事で、思いっきり見下した差別的な態度を取ってくる人達も居たし、そうなるとただ悔しさから一生懸命勉強したり。

「私だって英語できるんだから」
「授業のディスカッションだってちゃんと参加できるんだから」
「点数良いのは筆記だけじゃ無いんだから」
という比較的ポジティブな努力と、
「日本人だからってお人よしじゃないんだから」
「あなたと同じくらい横柄になれるんだから」
「あなたをぎゃふんと言わすくらい横柄になれるんだから」
という、なんだかどんどん性格が歪んでいくエゴの肥大を体験した高校生活。

Bad Assって言葉も、横暴な人に使うけど、高校、大学の頃は褒め言葉だったしね。
見下されるのが嫌で、まずは自分を認めさせるところから始まる。攻撃は最大の防御というか、やられる前にやれ、みたいな。

あの攻撃性は若さだったのかなぁ。
アメリカ社会のせいかなぁ。ユースカルチャーというか。
自分に自信が無いことの裏返しだったんだな、と今なら思うけど。

アメリカに住んでた頃に比べれば、全然まるくなった私。
年のせいかね、やっぱ。それともアメリカに住み続けてたら年でもアグレッシブなのかな。
こうやって書くと、まるで私がもう大人で攻撃的じゃないみたいだけど、別にそういうワケでもないんだよね。相変わらず日本人はおとなしいと思い込んでるポー人を驚かす私。
未だにビッチだよ。えっへん。

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