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2005年08月06日(土)
今日は勉強会です。 どんな無理をしても開催する事に意味がある。 どんなにつばさが準備が出来ていなくても、研鑽のために集まる事はいつもいつも意味があるのです。
今日は久しぶりに現れた夢野が円形脱毛症を作っていました。 心なし、老け込んだ感じもします。 そんなに一人暮らしはきついものだろうか。手料理に飢えている事は知ってるけど。 話を聞くと、大変な事が彼の身の上に起きていました。 彼自身が正気を失って入院の憂き目を見た事は彼のご両親にとっては非常にショックであったろうと思います。 しかし、夢野がそれを乗り越えつつある今、嫁姑問題でお母さんは家を出たそうです。 出たと言っても事態を沈静させるためにお父さんと話し合った上の別居で、家出だと言う訳じゃないのですが。 そして遠くで働いてた弟君が、たまたま帰省して来て何の背景の説明もないままそれを知り(とても冷血な言葉でそれを知り)、正気を失ってしまったのでした。 車椅子の夢野に、疲れ果てた父親が相談に来ます。 家族にとって深刻な事態の始まりです。 そして、夢野自身は自分の城を持った事によりバス通勤が始まりました。 夢野は掴まり立ちをすると階段が上れるので、通勤時間帯の他の乗客の迷惑にならないように車椅子は車椅子で上げてもらい、特に固定席に着かずに乗っているのだそうです。 それを毎朝会う若い男性が「ルール通りに固定して乗せろ、危ないじゃないか」と運転手さんに文句を言うのだそうです。 男性が言うのが正論なのだけど、運転手と乗客に気を遣って取っている行動を咎めて自分ではなく運転手さんが責められるのがこの上なく堪えるのだそうです。
それでも自暴自棄にならず、禿だけで済ませている夢野を讃えずには居られません。 そしてそんな夢野を叱咤激励する事しか出来ないつばさですが、それがつばさの役割なんだと思っています。
鬱の人に頑張れと言うのはいけないんだそうです。 じゃあ、何を言えばいいのか。 頑張れと言われると責められてる気分になる人なら、縁を切るしかありません。 つばさはなぜ頑張らないんだ、なんて一言も言ってないんですから。
頑張る気持ちを持っていると言うだけで、見守っているよと伝えるための頑張れです。 四六時中頑張らなくったってそれは本人の自由だし。そんな事求めていないし。
そして御書をみんなで勉強します。 辛い人が一番の幸せを掴むんだと言う思想を学んで行くのです。 自らが頑張れるな、と思って行けるように学んで行くのです。
きっかけになったメインメンバーはもう居なくなった勉強会ですが、それはもう過去の思い出です。
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