ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2026年10月17日(土) 生きながら欠ける

朝晩は涼しくなったが日中は今日も夏日となる。

真っ青で爽やかな秋晴れであった。

まさに「天高く馬肥ゆる秋」である。


朝の道の秋桜もすっかり満開となり心が和む。

先日の白い秋桜の近くにはワイン色の秋桜が咲いている。

欲が出てまた写真に撮りたくなったが民家の庭先であった。

流石に無断で立ち入ることは出来ず諦めざるを得ない。


職場の庭にも昔は沢山の秋桜が咲いていたが

いつだったか母が根こそぎ引き抜いてしまった。

もう枯れ始めていたので「汚い」と母は云う。

花の好きな人だったがそんな一面もあった。

どんなに見ずぼらしい姿になっても種を残したことだろう。

元気な頃には庭の手入れを怠らなかったが

今ではすっかり荒れ果ててしまっている。

その上に義父が除草剤を撒いてしまったので枯れ草ばかりとなった。

母が生きていたらどんなにか嘆いたことだろう。



仕事はぼちぼちの忙しさで朝のうちに来客があった。

古い友人のSちゃんであったが、車検完了の車を取りに来てくれる。

珈琲を淹れてしばらく語り合っていた。

お姑さんと同居しているとのこと大きな苦労である。

日頃からストレスを抱えていたのだろうそれは愚痴にも聞こえるが

話し相手になってやれて良かったなと思う。

Sちゃんも話したら楽になったと喜んで帰って行った。

姑さんとのいざこざは誰にでもあることだが

溜めこんでいたら自分を見失ってしまう可能性もある。

発散できる時には迷わず発散するべきだと私は思う。


義父は午前中に田んぼを耕しに行っていたが

午後からは車検を2台仕上げてくれた。

納車にも行ってくれて大助かりであった。

二足の草鞋を履いていても「やる時にはやる」頼もしい義父である。


工場が落ち着いたのを見届け3時に退社した。

今週も遣り切った感が大きく心地よい達成感である。

FMラジオからは「たかちゃん」の声が愉快に聞こえる。

「そうじゃにゃあ」と今日も猫語を撒き散らしていた。

もう何年も会っていないので会いたくてならない。


買い物を終えて4時過ぎに帰宅。

直ぐに自室へ駆け上がったら笠原メイさんの日記が更新されていた。

昨日は出掛けていて帰宅が遅くなったのだそうだ。

体調が悪かったのではなく何よりに思う。

どんな日もあってよしでありマイぺースが一番である。


台所でクッキーを焼いていためいちゃんが出来上がったのを

お皿に載せて部屋まで持って来てくれた。

甘さを抑えた何とも可愛らしいクッキーでとても美味しい。

将来はお菓子職人になるかもしれない。


夕飯は手抜き。サニーマートで鶏の唐揚げを買って来ていた。

娘が「何も作るもんがないが」と手持ち無沙汰にしていたが

5時半にはめいちゃんとダンス教室に行かねばならない。

少しでも気忙しくないようにと思った結果であった。


夕食後はまた暮れなずむ空を見上げる。

茜色の空に浮かぶ三日月を仰いでいた。

日に日に膨らむのは「希望」かもしれないと思う。

満月となれば少しずつ欠けて行く月であるが

その一部始終を見届けたいと思う。


誰だって同じ「カタチ」ではいられない。

生きながら欠けることも定だと思う。


※以下今朝の詩


    存在

  知らないこと
  知っていること

  風の噂が途絶え
  雲に包まれている

  君しかいなかったが
  その姿が見えなくなった

  消えることはたやすい
  そうして無口になれば
  存在は幻になるだろう

  生きて在ればと願う
  空に君の息があれば
  感じることが出来る

  辛い日々ばかりではない
  きっと笑顔になれる日を
  神様が届けてくれるだろう

  知らない日が多くなっても
  知りたがってはならない

  俯いた君が顔を上げれば
  真っ青な秋の空が見える


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