ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2026年10月16日(金) ここが私の居場所

爽やかな秋晴れ。日中は今日も夏日となった。

湿度が低いのだろうからりっとした暑さである。

来週には台風の接近も気掛かりであるが

全国的に気温が高くなる予報である。

そうして一気に冬が来てしまうのかもしれない。

やはり暖冬になるのだろうか。


朝の国道沿いに「皇帝ダリア」の茎が伸びており

今年も花に会えそうだ。わくわくと楽しみでならない。

昨年は確か花が終わると切り落とされていた記憶がある。

根は生きていたのだろう。何とも逞しい姿であった。



工場は活気づき同僚は車検整備に精を出し

義父は稲刈り後の田んぼを耕しに行く。

日にちが経てば経つほど土が固くなるのだそうだ。

ドジャースの野球も観たかったようだが

「遊びよったらいかんな」と気分を入れ替えていた。

稲刈りが終っても農作業は続く。休む暇もない義父であった。


私はお昼に宿毛市片島まで集金に行く。

わずかの金額であったが現金を搔き集めなければならない。

今日は自賠責保険の精算を。来週早々には重量税の精算がある。

お金は天下の回り物だと云うが右から左へと駆け足であった。

月末には取引先への支払いもあり気を緩める暇もない。

追い詰められても決して嘆いてはならず立ち向かって行こうと思う。


義父はお昼を過ぎても帰らず同僚に声を掛けて退社した。

カーブスではお仲間のEさんが声を掛けてくれて

私とひとつ違いの年齢であることが分かる。

「同い年みたいなもんよ」と手を握り合った。

同年代だと思えば大きな励みとなりやる気も湧いて来る。


4時過ぎに帰宅したら高知市内へ行っていた夫も帰っていた。

義妹の通院に付き添っていたのだが経過は順調とのこと。

手術日も来月の2日に決まり一安心である。

しかしペースメーカーは入れずに心臓の手術をするとのことで

いったいどんな手術なのだろう。夫も詳しくは知らないようだ。

医師から家族への説明もなかったそうで気掛かりでならない。

それだけ簡単な手術なのかもしれないと思うことにした。


今日はどうしたことか4時半になっても笠原メイさんの日記が更新されない。

ダイレクトで確認してもまだ書いていないようだった。

毎日のことである。書けない日もあって当然のように思うが

体調が余程悪いのでないかと心配になった。

しかしいつだって「心配無用」の彼である。

明日になれば事情も分かるだろうと「待つ」ことに決めた。

誰にだって気力だけでは乗り越えられないことがある。

たとえ日課であってもどうしようも出来ない日もあるだろう。


私も日課だがいつだって書きたくてならない。

もし何かあって書けなかったらとても辛いと思う。

大げさかもしれないがそれは「生き甲斐」を断たれることに等しい。


昔Rに「よく毎日書くことがあるね」と云われたことがあるが

生きているのだもの書かなければ死んだも同然である。

たとえささやかな日常のことであっても

書き残したい一心でいつも書いている。

そうでなければ「今日の私」は何処へ行けば良いのだろう。


※以下今朝の詩


      窓

  窓の外は真っ暗な闇
  風の音は耳に心地よく
  静けさを破ろうとする

  夜が明ければ土手の道を
  犬を連れた老人が歩く
  互いの老いを労わるように
  ゆっくりと歩を進める

  まるで絵のような光景に
  白い絵の具を手に取った
  それは老いた二人の息となる

  川向の山並みが見え始めると
  ゆうらゆうらと芒の穂が揺れ
  土手に朝陽が射し始める

  窓は知っているのだろうか
  どんな一日が始まるのかを
  息をする全てのものが
  いのちを謳歌するだろう

  こころに挟んだ栞が落ちる
  今日はここから始めよう

  窓を開け広げて
  大きく深呼吸をした


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