曇りの予報だったが一日中晴天が続く。
洗濯物を乾燥機に入れてしまい残念でならなかった。
全国的に10月とは思えない気温となり
佐賀県や市内の江川崎では31℃を超えていたようだ。
扇風機を回していたが不快な汗が流れていた。
月曜日にする仕事がないのが苦痛に思う。
スポーツの日であったが全く関係がない。
先月のシルバーウィークもそうだが休みが多過ぎると思う。
この不景気に散財する人も少ないのではないだろうか。
今朝も朝ドラを見てから一時間程寝入る。
横になると直ぐに眠くなるのは異常だと夫に云われた。
9時の開店に合わせてサニーマートへ行く。
「よしむらさん」が直ぐにカートを手渡してくれた。
昨夜のカレーがまだ残っていたのでそこそこの買物であったが
お昼のチャンポンに入れるキャベツが高く買えなかった。
地元のキャベツはまだないので長野産のようである。
生産者は潤うかもしれないが消費者には大きな打撃であった。
飲食店を経営している人も大変な苦労だろう。
キャベツの代わりにもやしを入れて大盛チャンポンを作る。
夫はもやしよりキャベツが良かったと不服そうであったが
いざ食べ始めると二人前をぺろりと平らげていた。
しばらくは「一風」にも行けないだろう。
ちゃんぽん風の「野菜ラーメン」が恋しくてならない。
午後はまたお決まりの昼寝で二時まで寝入る。
夫はドジャースの野球を観戦していたが私は全く興味がない。
大谷君にも興味はなく何とも退屈であった。
目覚めてから30分程自室で過ごしていたが
煙草とコーヒーのせいだろうかしくしくと胃が痛み始めた。
胃薬を飲みまた煙草に火を点ける厄介な困り者である。
4時までまた茶の間で過ごす。ドジャースは負けたそうだ。
月曜日なので報道番組があるはずだが夫は見ていなかった。
今日一日何があったのか事故や事件が気になってならない。
また自室へ戻り笠原メイさんの日記を読む。
今日も淡々とした日記で体調も落ち着いているようだった。
例え何があっても彼は決して悲観しないのだ。
そう云うところが好きだなと思う。
私もなるべく楽観的に過ごしたいと思うが
ちょっとしたことで落ち込む性分である。
「まあいいか」とは割り切れずいつまでも尾を引く。
ある意味、根を持ちやすい性格なのだろう。
母には似ていない。おそらく父に似たのだと思う。
その点弟は母に似て「あっけらかん」としているのだった。
穏やかな日もあれば荒れる日もある。
笑顔ばかりではいられず辛い日もあるだろう。
私のように劣等感の強い者は「石ころ」にだってなり得る
蹴られたら痛い。その石を投げ返す勇気もないのだった。
日々は流れるばかり。老いは進むばかりである。
そんな日々を如何にして乗り越えるのか。
「どうってことないさ」と笑い飛ばせるようになりたいものだ。
※以下今朝の詩 泡
私はわたしを知らない まるで泡のように生きている
ぶくぶくと膨れ上がり 風が吹くと飛ばされる
何とみっともない姿だろう 水にもなれやしないのだ
泡として季節に寄り添う 春ならば散り急ぐ花に 夏ならば灼熱の陽射しに 秋ならば真っ青な空に 冬ならば冷たい雪に
どうせ泡だからとおもう やがては消えてしまうだろう
けれども確かに生きているらしく その儚さが愛しくてならない
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