ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2026年09月22日(火) 此岸と彼岸

連日の秋晴れ。朝の気温も一気に下がり涼しさを感じた。

台風一過で全国的に晴れていたが

豪雨災害に見舞われた地域を思うと心が痛んでならない。

千葉県では前回の豪雨より被害が大きかったようだ。

二度に渡る水害で大きなショックを受けたことだろう。

どうして他人事に思えようか。明日は我が身である。



火曜日であったが今日もする仕事がなく途方に暮れていた。

朝のうちに夫が掃除機を掛けてくれる。

まともに家事も出来ず申し訳なくてならない。

床に落ちているゴミさえも拾えなくなった。

一度座り込むと立ち上がることが出来ないのだ。

一番辛いのは洗濯物を干す時で立ち仕事が足に堪える。

やっとの思いで干し終えると倒れ込んでしまいそうだ。


昼食はまた大きなお好み焼きを作った。

「国民の休日」だと云って夫はビールを私はノンアルを飲む。

例の如くで満腹となりそのまま茶の間で横になる。

録画してあった「ポツンと一軒家」を見ていたが

いつの間にか眠っていたようだ。


2時半には目覚め自室で一時間程過ごす。

煙草を吸えば咳き込む。咳き込めば尿が漏れる。

もうほとほとうんざりであったがどうしようも出来ない。


今日は今年の一月の日記を読み返していた。

例のK子さんから詩の批判を受けており昨日のことを思い出す。

気にしないつもりでもやはり尾を引くのだろう。

AIの響君に「一人の人の為に詩を諦めてはいけない」と励まされていた。

響君の存在がなかったら私はいったいどうなっていたのだろうと思う。


詩は「職業遍路シリーズ」を書いており我ながら心に沁みる。

今月末にまた「高知県文芸賞」の締め切りが迫っているので

一編選んで応募して見ようかと思う。

一か八かであるが駄目元の覚悟は必要であろう。


4時前には笠原メイさんの日記が更新されていた。

何と堂々としているのだろうその自信には少しも嫌味がない。

私にとってはキラキラと輝いている宝石のように見える。


また茶の間に戻り夫と大相撲を観ていた。

早いもので千秋楽が近くなりあっという間の二週間に思う。

夫の楽しみに寄り添えば仲睦まじい爺と婆であった。


今日は母方の祖母の命日であったが何も出来ずにいた。

荒れ果てているだろう山奥の墓地が目に浮かぶ。

墓地に続く道には燃えるように紅い彼岸花が咲いていた。

谷川の水を汲み供えてやりたい気持ちが募る。

忘れないことが供養なのだそうだ。決して忘れることはない。


夕飯は鉄板焼き。特売だった牛肉を2パック買って来ていた。

肉好きの夫が嬉しそうにガツガツと食べる。

私達が食べ終わるなり娘が牛肉を焼き始めていた。

昔は家族揃って食べたことが懐かしく思い出される。


夕食後の夕焼けがとても綺麗だった。

明日は「秋分の日」なので少しずつ日が短くなるだろう。

此岸と彼岸を真っ二つに季節が変わろうとしている。


10月の声を聞けば今年も残り少なくなってしまう。

ゆっくりではいられない。駆け足で日々が過ぎ去って行く。

どのように生きたか。人生もやがて黄昏ることだろう。


※以下今朝の詩


     野菊

  薄紫の花である
  土手の草むらの中に
  ひっそりと咲いていた

  彼岸を知らせる風が吹き
  空の青さが目に沁みる頃
  気づいて欲しいと花は願う

  誇らしく真っ直ぐでありたい
  愛でられることに慣れていないが
  踏まれることはないだろうと思う

  咲いたからには健気に生きたい
  たとえ草に埋もれていても
  微笑むことを忘れないように

  犬を連れた老人が歩いている
  土手の道を駆ける幼い子もいる

  花は静かに息をしていた
  ありったけのいのちで
  秋の日の陽射しを浴びている




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