曇り日。午後には少し陽射しがあった。
大雨にはならずなんとほっとしたことだろう。
鹿児島の屋久島ではレベル5の土砂災害特別警報が出て
これまで経験した事の無いような大雨となったようだ。
雨には慣れている島民もどんなにか不安だったことだろう。
今のところ大きな災害は無かったようだが明日も雨が降り続きそうだ。
台風24号は熱低を伴いゆっくりと北上している。
秋雨前線も停滞しており明日以降は東海や関東でも大雨になるようだ。
高知県も避けられず厳重な注意が必要である。
降り過ぎる雨の何と怖ろしいことか。まるで天の仕打ちのように思う。

仕事は順調であったが自転車のパンク修理があった。
山里には自転車屋さんが無いので断ることも出来ない。
まだ60代の男性であったが車の免許を持っていなかった。
どこに行くにも自転車で大切な「足」なのである。
同僚に見てもらったらタイヤもチューブも駄目になっていた。
在庫は置いていないので平田町のホームセンターまで買いに行く。
僅かな売上であるが人助けなのだと思う。
お客さんはとても喜んでくれてそれが何よりであった。
昨日入庫していた車検整備も完了していたが
義父はコンバインを洗い始めていて車検が出来なかった。
お客さんに事情を話したら月曜日まで待ってくれるとのこと。
迷惑を掛けるのが心苦しくてならない。
午後には義父の友人が来てくれて稲刈りをするとのこと。
先日が最後だと思っていたがまだ刈り残した稲があるのだそうだ。
少しなので直ぐに終りそうだが「稲刈り」には違いない。
同僚は午後から歯医者さんに行きたいからと休みを取っていた。
私は一人で待機していたが何だかしんどくてならない。
眠気もあり早く家に帰りたくなった。
独断ではあったが午後は休業とし2時前に退社する。
サニーマートで買物をし3時には帰宅していた。
15分程自室で過ごし後は茶の間で寛ぐ。
夫は珍しくバラエティー番組を見ていた。
興味は無かったが見ているとけっこう面白い。
たまには笑うことも無くてはならないと思う。
4時になるとまた自室へ行き笠原メイさんの日記を読んだ。
「詩と死は近い」と書いてあり大いに共感する。
まだ若い彼が死を身近に感じる事はないように思うが
おそらく命がけで詩を書いているのだろうと思う。
それは私も一緒であった。「書くことが生きること」と云えば
何とも大げさに聞こえるが書かないと死んでしまいそうに思う。
しかし命を削るようなことがあってはならない。
命を楯にして書き続ける「運命」なのかもしれなかった。
私にとっては残り少ない人生である。
どれほど書いても「カタチ」にはならない。
藻屑のように流れ着く砂浜があれば十分なのではないだろうか。
※以下今朝の詩
カレンダー
九月のカレンダーは命日ばかり 祖父を先頭に祖母 幼馴染の友達そうして最後が 母の命日であった
秋桜が咲き彼岸花が咲く頃 季節は夏から秋へと変わり 爽やかな風が吹く頃である
死んでしまったら何処に行くのだろう 舟に乗って三途の川を渡るのだそうだ
天の国に続く道にはお花畑があり ほっこりと微笑むことが出来る
思い残したことがあっても もう引き返すことは出来ない 魂が生まれ変わるその時まで どれ程の歳月が流れることか
祖父は畑を耕している 祖母は縫物をしていた 友は孫達の顔を思い浮かべ 母は大好きな葡萄を食べる
命日に手を合わす 思い出すことが供養になるのだそうだ
九月のカレンダーは切なくてならない
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