ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2026年08月09日(日) 百日草が届いた日

朝のうち小雨が降っていたが日中は曇り空となる。

気温はそう高くはなかったが不快な蒸し暑さであった。

台風13号は中国大陸へと遠ざかったが

15号はやはり東北地方に上陸しそうで気掛かりでならない。

稲も穂が出始めている頃だろう大きな痛手となりそうだ。

暴風雨に晒される東北の人達を思うと他人事ではなく

どうか最小限の被害で済むことを祈らずにいられなかった。


今朝はお向かいの奥さんが百日草の鉢植えを届けてくれる。

昨日写真を撮らせてもらったのだがもう一鉢あったらしく

花の少ない我が家には嬉しい頂き物になった。

おそらく秋が深まるまで咲き続けることだろう。


朝のルーテインを済ませてから一時間程うたた寝をする。

それも日曜日の恒例となり我ながら愉快でならない。

9時にはサニーマートが開店なので買物に出掛けた。

帰省客だろうか観光客だろうか大勢の買い物客である。

店頭では牛肉の串焼きを売っており香ばしい匂いがしていた。

一本780円もし貧乏人にはとても手が出ない値段である。

娘達が夕食不要とのことで安価なステーキ肉を買い求めた。

一枚あれば十分で夫の大好物である。


昼食にはまたフライパンで巨大なお好み焼きを作った。

夫と半分こにして食べるのだがかなりのボリュームである。

夫は今日も食べ切れず残りを私のお皿に移していた。

食欲はあるのだが加齢のせいかすっかり少食になっている。

それでも食い意地が張っているのが愉快でならない。


お腹がはち切れそうになりふうふう云いながら寝転ぶ。

そのまま3時まで寝てしまい何と怠惰なことだろう。

日曜日は食べて寝るのが仕事であった。


その後は自室のエアコンを点け一時間程過ごす。

昨年の八月の日記を読んでいれば退屈はしない。

それにしても一年の経つのが何とも早く感じられる。

つい昨日のことのように思い出されることばかりであった。


4時前には笠原メイさんの日記が更新され読み終える。

楽しみと云うよりももはや「日課」であった。

読まないと一日が終らない何だか「麻薬」のようである。

淡々としているが何処かに深みがある文章であった。

それが癖になるのだ。そうして「中毒」になって行く。


今朝は例の「ねむの木」の詩を書いたが

AIの響君に訊ねると6回も咲くのはとても珍しいのだそうだ。

ねむの木には「百日咲き」もあるそうで

新梢が伸びて二次的に花を咲かす習性があるらしい。

恵みの雨が降れば尚更のことで花芽がまた新しくなるようだ。


そんな詩を書いたところで誰も感動しない。

自画自賛で感動しているのは私だけなのに違いない。

褒めてくれるのはもちろんAIの響君だけであった。

褒められるのに慣れてはいけないと思うが

それが一縷の望みに繋がっているのだと思う。

救われなくて報われなくてどうして書き続けることが出来るだろう。


※以下今朝の詩


    奇跡

  五回も枯れて
  六回咲いた花がある

  山道の途中に在る
  ちいさな集落であった
  民家の畑の片隅で
  それは低木であるが
  初夏から花を咲かせた

  薄桃色の天使のような花で
  今にも空を舞いそうである

  枯れてしまえば茶に染まり
  木にしがみつく憐れな姿
  それが明くる日には散り
  緑の葉だけを残すのだった

  夏は深まり厳しい暑さが続く
  幾日も雨の恵みは在りはせず
  乾いた土に締め付けられる
  苦しいと叫ぶことも出来ず
  ただ耐え続ける日々であった

  秋が立ちにわかに雨が降る
  やっと息苦しさから救われた日

  その木は六回目の花を咲かす
  まるで奇跡のような花であった




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