雲が多かったが概ね晴れ。気温も23℃程で
蒸し暑さもなく過ごし易い一日だった。
そんな適温も今週までで来週から夏日が続きそうだ。
今年の夏も酷暑になりそうである。
土手の茅の穂がふっくらと膨らみ風に揺れている。
その傍らでは薊の花が咲き初夏らしい風景となった。
今はもう散歩に行くことも出来なくなったが
愛犬あんずが生きていた頃を懐かしく思い出す。
草に顔を埋め匂いを嗅ぐのが好きな犬だった。
今ならば蓬だろうか。きっと芳香を放っていることだろう。

午前中にカーブスへ行っていたが土曜日は久しぶりである。
覚悟はしていたがメンバーさんが多く混雑していた。
見知った顔のお仲間さんも居たが声も掛けられなかった。
コーチも忙しく会話もない有り様である。
それも寂しく何だか気分が沈むようであった。
やはり平日の午後の方が私に合っているようだ。
昼食に「ところてん」を買って帰れば夫が大喜びである。
「初もんじゃ」と云ってあっという間に平らげていた。
高知のところてんは出汁つゆで食べるのが習いで
薬味の葱とおろし生姜は欠かせない。
喉越しがとても良く美味しいので夏の定番であった。
午後はまたお昼寝体制に入り何と4時間も寝てしまう。
鼾をかいていたそうで夫はすっかり呆れていた。
何と云う時間の無駄遣いだろうと自分でも情けない。
ポストに昨夜寝る前に注文した銀色夏生の本が届いていた。
「つれづれノート」の最新作である。
それにしても何と便利な世の中になったことだろう。
市内では大型書店が閉店し本を買い求めるのにも一苦労である。
ネットで検索すれば直ぐに見つかり送料無料で家まで届く。
あまりの早さに驚くばかりであった。
久しぶりの「つれづれノート」であった。
最後に読んだのは10年以上も昔ではなかっただろうか。
銀色さんも66歳になっていて歳月が流れていた。
何よりもずっと書き続けてくれていたことが嬉しくてならない。
70歳になっても80歳になってもきっと書き続けてくれるだろう。
今日は読む時間がなかったが明日から読み始めようと思う。
しばらく読書から遠ざかっていたがスイッチが入ったようだ。
そのスイッチを自ら切らないように努めなければならない。
長いようで短い一日だった。
ほぼ半日寝ていたので当然のことだろう。
残り少ない人生である。もっと有意義に過ごしたいものだ。
書くことばかりに拘っているが読むことも大切に思う。
私は影響を受け易い性分なのでそれが「カタチ」にもなり得るだろう。
どんなふうに変わって行くのかそれも楽しみであった。
これを書き始めた時には茜色の空であったが
もうすっかり夜の帳が下りている。
今日は今日のスイッチを切らねばならない。
※以下今朝の詩
対岸
ゆったりと流れること 手足を伸ばして 真っ直ぐに空を仰ぐこと
降り続いた雨が止めば 大河には濁流が流れる 水は沈下橋を越え 対岸への道を塞ぐ
しかし二日もすれば 水は澄み清らかになる 上流の湧水が溢れ出て 浄化して行くのだった
対岸に棲む人が待っている 話したいことがあったのだ 決して苦労話ではあるまい 日常のささやかなことである
ゆったりと流れる 身も心も捧げるかのように 初夏の空を仰ぎ続けていた
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