朝のうちは曇っていたが次第に晴れて来た。
気温も夏日となり初夏らしい一日となる。
春を彩っていた玄関先の花たちも
いつの間にか枯れ始めており寂しいものだ。
「夏スミレ」だったか見つけたら植えてみようと思う。
娘が育てている多肉植物は寒さを乗り越え
今は生き生きとしていて何とも逞しい。
確か花が咲く種類もあったはずでこれからが楽しみである。

職場は臨時休業であったが今日も来客があった。
支払いのお客さんが三人も来てくれて有難いことである。
おかげで重量税の精算が出来てほっとした。
不思議なことはそのお客さんの顔を思い浮かべていたら
偶然にも来てくれたことである。
三人ともそうだったのでテレパシーが通じたのかもしれない。
それとも予知能力のようなものがあるのだろうか。
母がとても勘の鋭い人だったので私も似たのかもしれなかった。
義父は昨日で早稲の田植えが終わったとのこと。
昨夜は友人達と打ち上げをしていたらしく今朝は寝坊していた。
一気に疲れも出たのだろう今日は「休養日」にしたようだ。
義父でなければ出来ない修理の仕事もあったのだが
急かし立ててはいけないとそっとしておくことにした。
明日の相談もしたのだがやはり臨時休業と決める。
義父次第であったが仕事はそのうちにと思っているようだ。
定時で仕事を終えカーブスへ行ったが
一週間ぶりのせいかとてもしんどかった。
上半身は動くが下半身が重くてならない。
やはり毎日の積み重ねが必要なのだろう。
また明日と約束をしてふうふう云いながら帰った。
4時過ぎに帰宅しそのまま自室へ駆け上がる。
笠原メイさんの日記を読むのはもう日課であった。
アクセス数が600人を越えたとのこと。
どんどん人気が上がっているようだ。
本当に凄い事だなと思う。彼自身も驚いているようだった。
書いたからには誰かに読んで欲しい。
書くことを志しているからには誰しもそう思うだろう。
それはたった一人の読者であっても変わらない。
しかし読者を意識して書いてはならないと思う。
それがブログと日記の違いなのではないだろうか。
私のようにひっそりと日々を記している者もいる。
20人足らずの読者であるがどれ程信頼していることだろう。
だからこそ包み隠さずに書くことが出来るのだ。
ずっと昔から銀色夏生の「つれづれノート」のファンであった。
ささやかな日々の事、子供たちの事、素直で詩的な文章が好きでならない。
彼女は今も書いているのだろうか。
生きている限り書き続けているような気がしてならない。
※以下今朝の詩
過失 ぽつねんとしている よくわからないけれど 途方に暮れているようだ
諦めることは容易い しかし何としてもと思う 制限時間は20分である
もっと早く起きるべきだった どうして二度寝をしたのだろう
秒針がとても急いでいる ほらほら書きなさいと 声が聴こえるようだ
詩人なんかじゃない ただの老婆であった それなににどうして 書くことに拘るのか
廃れてしまった感性が 過失のように悔やんでいる
詩のようなものを書く 書かないと死んでしまう いのちの欠片を拾い集めて パズルのように書いている
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