| 2026年04月24日(金) |
神さま仏さまお客さま |
曇りの予報が外れ小雨降る一日となった。
気温は14℃と低く肌寒くてならない。
明日は晴れそうだが明後日は大雨になるのだそうだ。
躑躅が散り始めておりもう見納めになるかもしれない。
朝の山道で5人のお遍路さんを見かけた。
それぞれに雨合羽を羽織っていたが
一人だけ濡れながら歩いているお遍路さんがいてとても気になる。
もう後の祭りだが声を掛けるべきだったのだろう。
いくら小雨とは云え冷たい雨であった。
荷物が少なかったので今夜は民宿泊だと思われる。
せめて温かいお風呂に浸かっていて欲しいと願う。

今日は義父が骨休み。代掻きが一段落したのだそうだ。
連休中にまた田植えをする予定らしい。
明日は友人の田植えを手伝いに行くのだそうだ。
苗と田植え機は持参でその準備に追われていた。
友人にはいつも助けてもらっており恩返しをしなければならない。
それが楽しみでならない様子で上機嫌の義父であった。
工場にはまた大型車の車検が入庫していた。
初年度から30年も経っており相当な古さである。
月末までには仕上げねばならず同僚も頭を悩ませているようだ。
経理は何とかなり多額の重量税を送金する。
預金残高は底を尽いたが後は風任せであった。
お客さん次第であるがとにかく待たねばならない。
催促だけはしてはならないと義父からも念を押されている。
ようは「太っ腹」を見せなければならないのだ。
それが商売のコツらしいが理不尽な事のようにも思える。
苦しい時にどうしてそれを訴えてはならないのだろう。
ずいぶんと昔の事だが母がお客さんに催促をしたことがあった。
お客さんは立腹し母の目の前にお札を叩きつけると
「もう二度と来んぞ」と云ってそれっきりになったのだった。
母も資金繰りに苦しんでいたのだろう。
その時の気持ちが今になってよく分かる。
気がつけば母と同じ道を歩いている私であった。
そんな私の事を母がどれほど案じていることだろうか。
そう思うと「きっと助けてくれる」と信じずにいられない。
私はいくらどん底に突き落とされようと負けはしない。
毎日母を背負って仕事をしているのだと思っている。
魂ほど身近な存在はなく常に母と一緒であった。
義父と同僚に声を掛け今日も定時で仕事を終える。
お昼休憩が無かったせいか運転中の何と眠かったことか。
カーブスでも倦怠感がありいつものように頑張れなかった。
もうひと踏ん張り明日も仕事である。
右を向いても左を向いても「お金」のことばかり考えていた。
気分転換を兼ねて明日は愛子ちゃんちの「てっせん」を見に行こう。
写真を撮ってまた世界に発信するのが楽しみでならない。
どうか「いいね」がたくさん付きますように。
※以下今朝の詩
椿
まだ蕾だと云うのに それは落ちてしまう
鳥の仕業ではなかった 風の仕業でもないだろう
理由など在りはしない ただ落ちなければならなかった
手折ったひとを恨んでも 何も変わりはしない 自然のままに咲くことを 認めて欲しかったのだろう
散れないことを受け止めて来た それは永遠の定めである 蕾であっても落ちねばならない それほど無残なことがあるだろうか
木偏に春と書くそう名付けてくれた ひとが居たことを忘れてはならない
生きながら落ちることは 決して終いではあるまい
|