曇り日。気温は20℃程で随分と過ごし易い一日だった。
若葉の季節らしく柿や枇杷、銀杏の木も緑に包まれている。
はっと驚くのは紫陽花で冬の間の枯れた姿が嘘のようであった。
あの化石のような花はいったい何処に消えたのだろうと思う。
あとひと月もすれば花の新芽も見えてくることだろう。
そうしてまた紫陽花の季節がやって来る。
今朝は職場に着くなり愛子ちゃんの家を向かった。
しかし曇り空でも逆光となり写真を撮ることが出来ない。
またお昼頃に来て見ようと大急ぎで職場へ帰る。
工場では義父が例の困難な作業をしてくれていた。
同僚にはやはり無理で根負けしたようだった。
同じ熟練工でも義父と同僚では20年の差がある。
いざ義父が作業を始めると一時間も掛からなかった。
さすが義父だなと思う。おかげでどれ程助かったことだろう。
お昼前には車検整備が完了し今日の納車に漕ぎ付ける。
やはり工場には義父の助けが必要なことを想い知らされた。
一段落すると義父は長靴を履きまた田んぼへと急ぐ。
田んぼに水を張ってトラクターで代掻きをするのだそうだ。
また直ぐに次の田植えに取り掛かることだろう。
同僚は次の車検整備に取り掛かっていたが声を掛けて定時で退社した。
カーブスでは扇風機がフル回転しており心地よく汗を流す。
サニーマートで買物を終えたら「よしむらさん」が来てくれたが
甘えるのも気の毒な程、今日の荷物は軽かった。
それでも彼女は笑顔で手を貸してくれ有難くてならない。
車椅子のお客さんも居ることを話したら区別はしないとのこと。
高齢者や私のような軽度の障害者でも親切を心掛けているのである。
よしむらさんに会えた日はこころがほんわかと温かくなった。
4時過ぎに帰宅しいつものように自室に行ったが
SNSにダイレクトメールが届いており誰かな?と開くと
岩手盛岡在住のフォロワーさんが写真を送ってくれていた。
私が「岩手山と一本桜の景色を見たい」と云ったのを覚えていてくれたのだ。
なんと美しい景色だろう。岩手山にはまだ残雪があり
一本桜はほぼ満開で微笑んでいるように見えた。
真っ先に私に見せたかったと云う。その優しさが嬉しくてならない。
トモ君と出会ったのは私がSNSを始めたばかりの頃だった。
かれこれ10年だろうか。毎月の始めに必ずコメントを届けてくれる。
優しい人柄をそのままに「縁」をとても重んじる人であった。
消えようと思えば直ぐに消えることの出来るネットの世界で
繋がっていられることは奇跡のようにも思える。
先日のRもそうであったが「記憶」として私が存在していた。
あの一通のメールが私にとっては冥途の土産となるだろう。
会えば別れが世の定めと云うが
私は存在することで生き永らえているのだと思う。
もし死んでしまっても「忘れられない人」になりたい。
※以下今朝の詩
消しゴム
鉛筆に付いている消しゴムである 直ぐに擦り減ってしまうが そこそこに消して来たようだ
あまり強く擦るとこぼれ落ちる 小指の先ほどの塊りであった
あれもこれもと間違いだらけの 人生だったのかもしれない しかし書き直すことが出来た そうして「いま」があるのだろう
黒みを帯びたカスである 消されたことを恨みもせず 在りのままを認めて来た 息を吹き掛ければ飛ぶことも出来る
書き続けて来た日々に 季節の風が舞い込むのを 静かに見守っているようだ
鉛筆は削れば生き生きとするが 消しゴムは何処に消えたのだろう
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