朝の爽やかさもつかの間、日中は快晴の夏日となる。
日向に居ると眩暈がするような暑さであった。
おそらく5月初旬の気温なのだろう。
まだ4月の中旬だと云うのに異常だとしか思えない。
今年の夏は早く訪れるらしくその前兆らしかった。
八重桜が少しずつ散り始めたが今度はツツジが満開となる。
峠道を越えて最初の民家にはオオデマリの花が咲き始めていた。
先に咲いたコデマリを追い駆けているようだ。
オオデマリはその名の通り紫陽花に似た大きな花である。
そうしてまた朝の楽しみが増えるのが嬉しくてならない。

今朝は出勤すると義父が事務所に待機してくれていた。
既に車検完了の書類を書き始めており私も大急ぎである。
自賠責保険の印刷をし「適合証」の記入をした。
義父が居ないと出来ない仕事で「ようし、今だ」と思う。
一時間程で終り義父はまた田んぼへ出掛けて行く。
とても上機嫌で張り切っているようだった。
工場にはまた厄介な車検整備があり同僚が苦心していた。
訊けば交換部品の脱着が出来ないらしい。
いくら熟練工でも余程難しい作業なのだろう。
また糞詰まり状態となりにっちもさっちも行かなくなる。
取り合えず簡単な作業からするように同僚に指示し
困難な作業は義父に任せるように伝えた。
しかしそれも今日の事にはならず頭を抱えるばかりである。
そんな時にまた愛子ちゃんから電話があり
庭のツツジが満開になっているとのこと。
例の如くで「早くお出でよ」と云うのである。
気忙しさもあったが気分転換を兼ねてまた駆け付けて行った。
ツツジの種類は定かではないが淡いオレンジ色の花である。
それは可愛らしく見事に咲いていたが写真は撮れなかった。
強い陽射しが花に当たっており鮮やかには写らないだろう。
愛子ちゃんも残念がっていたが明日の午前中にと約束する。
それからまた珍しい花がメダカの鉢の中に咲いていると云う。
玄関先には大きなメダカ鉢が3個もあった。
水草の一種らしく「あさざ」と云う花なのだそうだ。
漢字で書くと「浅沙」のようである。
とても小さな黄色い花で野の花のようにも見えたが
水草には間違いなく絶滅危惧種なのだそうだ。
愛子ちゃんが影になってくれて写真を撮る。
立派なカメラならマクロ撮影も出来るが私はガラケーであった。
当然画質は悪く世界に発信するにはいささか難があるだろう。
しかし愛子ちゃんはとても喜んでくれて私も嬉しかった。
「また明日の朝ね」手を振って別れたからには約束を守らねばならない。
愛子ちゃん自慢のツツジを世界に発信しなければと思う。
頑張っている同僚に声を掛けて定時で退社した。
カーブス、サニーマートと日課を果たせば心地よい達成感がある。
4時過ぎに帰宅し自室に駆け上がるとノートパソコンを開き
アイスコーヒーを飲みながら笠原メイさんの日記を読んだ。
彼はただの闘病日記のようなものだと云うが
病んでいるとは少しも感じない意欲が感じられる。
「生き方」にルールなどないのだと思う。
どのような境遇であっても貫こうとする意志さえあれば
自分の息を言葉にして「書く」ことが出来るのだ。
ふっと私と彼は似ているように感じた。
※以下今朝の詩
札幌
泣きなさい笑いなさい きみが歌ってくれた日
札幌にも春の兆しがあり 桜の蕾もふくらんだころ
終わらない冬はなかった 冷たい雪ばかりの日々も 耐え続けて来たのだった
夜勤の仕事を終えて帰り道 朝陽が街を照らすのを見た どんな日もあるものだと思う 疲れていても朝はやって来る
歳月は流れきみは父になった もう半世紀も生きて来たのだ 娘の成長が楽しみでならない
札幌の街に南風が吹く頃 きみは顔を上げて歩いている どんな未来が待っているのか その目で確かめようとしている
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