ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2026年04月13日(月) リポスト

雨が降りそうで降らない曇り日。風もなく過ごし易い一日となる。

暑からず寒からずの気温がちょうど良い。


今朝は山道に差し掛かるなり椎の木の花が咲いており驚く。

二日前には全く気づかなかったので咲いたばかりなのだろう。

山がむくむくと動いているように見えて面白い。

黄な粉色の花だが巨大なブロッコリーのようにも見える。

確か毎年5月ごろではなかったかと記憶しているが

このところの初夏のような陽気に誘われたのではないだろうか。


お遍路さんが二組。一組は青い目をしたお遍路さんだった。

ハーフパンツを履いておりカモシカのような足をしている。

カップルなのか見るからに仲睦まじく微笑ましい姿であった。



職場に着くと義父が居室に居るようなのでほっとする。

土日の田植えでほぼ一段落したのだろう。

今日こそは工場の仕事をしてくれるだろうと思っていたが

まだ一反ほど植え残した田んぼがあるのだそうだ。

それを一人で植えに行くと云うので心配になった。

そうこうしていると友人がひょっこりやって来て

「よっしゃ今から植えよう」と云ってくれて義父は大助かりである。

職場の直ぐ近くの田んぼだったので様子を見に行くと

田植え機を操る義父の逞しい姿が見えた。


工場の仕事は順調とは行かず先週からの車検整備が終わらない。

その上に今日の予約の車がもう入庫していた。

今週は毎日予約が入っており糞詰まり状態である。

同僚は一生懸命にやってくれているので急かす訳にも行かない。

私が焦ってもどうしようもなくただただ見守るだけであった。


そんな最中に例のお客さん「愛子ちゃん」から電話があり

庭の「こでまり」が綺麗に咲いた知らせであった。

居ても立ってもいられなくなりまた大急ぎで駆け付ける。

「こでまり」は私の大好きな花で胸が一杯になった。

何と可愛らしいことだろう。真っ白いちいさな毬のようだ。


「ねえここにもあるよ」愛子ちゃんに呼ばれて玄関先に向かうと

今まで見たこともないちいさな花が咲いていた。

「いかり草」だと愛子ちゃんが教えてくれる。

ようく見ると確かに船の錨のように見えた。

「こでまり」も「いかり草」も写真に収めて

「世界に発信するけんね」と愛子ちゃんに告げると

「いいねが沢山付いたらええね」と云ってくれて嬉しかった。


慌てて職場に戻ると同僚が「またサボって」と笑いながら文句を云う。

愛子ちゃんは私より少し年上だが親友のように思えた。

まるでお花畑で暮らしているような穏やかな人である。


ろくに仕事もせずに定時で帰路に就く。

カーブス病の発作はもう慢性になったようだ。

今日は少し足が痛んだが何のこれしきと張り切る。

汗をいっぱいかき扇風機が欲しい程だった。


4時過ぎに帰宅すると「笠原メイ」さんの日記が更新されていた。

以前は5時前だったのに最近早くなりゆっくりと読める。

彼はとても前向きで大志を抱いているようだ。

どれほどエールを送っても届くことはないが

今日も「リポスト」をしてささやかに応援をする。


詩や短歌を発信していて一番励みになるのは「リポスト」であった。

私には殆ど縁がないが先日ある方がしてくれてとても嬉しかった。

その時コメントがあり「好きだな」と伝えてくれたのである。

感想を述べてくれるよりその一言に私は励まされた。

垂れ流しのような拙い詩であるが書いて良かったのだなと思う。

そうしてまた早起きをして書こうと意気込むのである。


若い頃のような感性はもうない。

それは誰よりも私自身が感じていることである。

もう輝けないのであればせめて生きなければと思う。

生きてさえいればきっと自分が選んだ「道」を貫くことが出来るだろう。


※以下今朝の詩


       白藤

   山肌からこぼれおちる
   真っ白な花であった

   ちいさな花が重なり合い
   ひとつの花となる姿は
   天使たちの語らいであろうか
   囁く声が春の風に揺れている

   山の自然に身を委ね
   鳥の声を間近にして
   もう幾年も生きて来た

   こどもがおとなになり
   老いて行く姿も知った

   指折り数える春であったが
   それは花の数を越えていく

   穢れのないその白さに
   ひとは何を願うのだろう

   ゆらりゆらりゆらり
   風の歌を聴き続けている



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