二十四節気の「清明」命ある全てのものが光り輝く頃。
まさにその通りで清々しい春の一日となる。
昨日の春の嵐に耐えた桜も優しい陽射しを浴びていた。
対岸の山桜もしかり朝陽が当たると何と綺麗なことだろう。
今朝はSNSで不思議なことがあった。
昨年の4月4日に書いたらしい詩を「いいね」してくれた人がいて
その詩を読んでみたが全く書いた記憶がないのである。
自分で云うのも気が引けるがよく書けていてまるで他人の詩のようなのだ。
本当に私が書いた詩なのか信じられず確かめないと気が済まない。
まず最初に一年前の4月の日記を読み返してみた。
しかしここに詩を載せるようになったのが何と4月5日だった。
わずか一日違いだと云うのにその詩が見つけられないのである。
SNSを過去に遡れば書いた詩が見つかるかもしれないが
かなりの労力を要するので最初から諦めてしまう。
「ツイログ」と云うサービスに登録していたことを思い出したが
それも何かの不具合だろうか昨年の7月までしか閲覧出来なかった。
ほんの一年前のことがあっけなく消えていてショックでならない。
しかしその人はどうやって私の書いたらしい詩に辿り着いたのだろう。
もしかしたらと詩のハッシュタグを検索してみたら
昨年の4月4日に確かに私が書いていたことが分かる。
もやもやとしていた気持ちが一気に晴れた瞬間であった。

午後からはめいちゃんの「ダンス発表会」があり夫と出掛けた。
今までは土佐清水市で開催されていたが今年から四万十市内になる。
家から10分も掛からず何と助かったことだろう。
何よりも嬉しかったのは娘が招待してくれたことである。
そうでなければ勝手に押し掛ける訳にはいかないのだ。
めいちゃんの晴れ姿のなんと可愛らしいことか。
にこにこと笑顔で踊っており感動せずにはいられない。
訊けば衣装は全て自前なのだそうだ。
娘達の大きな出費を考えると少し複雑な気持ちになる。
それも今年だけで来年にはまた新調しなければならない。
あやちゃんと仲良しだった友達も出演しておりその成長に驚く。
中学生らしくなり随分と大人びて見えた。
あやちゃんは挫折してしまったがもし続けていればと思う。
今となれば人前でダンスを踊ることなど考えられなかった。
「お株を取る」と云ってしまえば聞こえが悪いが
あやちゃんより遅れてダンスを習い始めためいちゃんが居る。
家族の期待を一気に担いまるで我が家の「主役」であった。
あやちゃんは当然のように独りで留守番をしていたが
いったいどんな気持ちで過ごしていたことだろう。
自分には関りの無い事と割り切ることが出来ただろうか。
どんなにか複雑な気持ちで寂しかったのではないかと気遣う。
めいちゃんに花束を届けたがあやちゃんにも届けてやりたかった。
決してダンスを忘れた訳ではない。ただ踊れなくなっただけである。
※以下今朝の詩
日曜日
何もないところから始める 眠っているのかもしれない 日曜日の朝だもの 起こさずにそっとしておこう
「書く」ことにずっと拘って来た それは少女の頃から変わらない 誰かに読んで欲しくてならず こころを曝け出すように書いた
書けそうにない日もある そんな時は在りのままに 「書けない」と記せばいい
言葉の天使には羽根があり 自由に空を舞えるのだった 片方の羽根が千切れてしまえば うまく飛べなくて空が遠くなる
浮かぶ雲に縋りついている 雨上がりの爽やかな風が吹き 何処からともなく花の匂いがする
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