| 2026年04月06日(月) |
黄昏れのオバタリアン |
花曇りの一日。桜は少しずつ散り始めているが
まだまだ花の盛りを保っており心を和ませてくれている。
明日は朝のうち雨の予報だが小雨らしく
幸い花散らしの雨にはなりそうになかった。
人の欲だろうか「もっともっと」と思う。
咲けば散るのが定めの桜を引き留めようとするのだった。
朝の道ではお遍路さんが多く七人も歩いていた。
直接声を掛けることは出来なかったが「おはようございます」
車中から声を掛けながら追い越して行った。
黙々と歩く姿は勇気そのものに思える。
何があっても歩くことを諦めない意気込みが感じられた。
もう何年も通い続けている道であるが
遍路道で良かったといつも思う。

工場は新たな大型車が車検のため入庫していたが
先週からの大型車の車検整備がまだ終わっていなかった。
同僚はひたすらマイペースを貫くばかりである。
私が焦ってもどうしようもなくそっと見守り続けていた。
義父は今朝も姿が見えない。また早朝から田んぼに行ったようだ。
今週末には田植えを予定しており無我夢中なのだろう。
何だか「仕事はお前たちに任すぞ」と声が聞こえるようだった。
午前中に支払いのお客さんが二人も来てくれて思いがけなかった。
資金は順調に集まっておりどれ程気が楽なことだろう。
大型車の車検が完了すればまた大きな売上となる。
私も捕らぬ狸の皮算用に忙しかった。
「働いて働いて働いて」である。働いてこそ「なんぼ」の世の中である。
定時を少し過ぎて退社。4日ぶりのカーブスへ向かう。
私の顔を見るなりお仲間さんが手を挙げてくれて嬉しかった。
新人のコーチが二人入社しており少し緊張する。
一人はとても愛想が良かったがもう一人は固い表情だった。
おそらくまだ慣れるには早いのだろう。なんだか気の毒に思える。
サニーマートで「よしむらさん」を見かけたが忙しそうにしていた。
「たなかさん」はお休みなのか姿が見えない。
最近の私は誰にでもよく話し掛けるようになった。
それだけ明るい性格になったのだろうと思う。
しかし夫に云わせればそれこそが「オバタリアン」なのだそうだ。
それでいいじゃないかと思う。もう古希のお婆ちゃんだもの。
マダム顔でつんつんしているよりずっと良いと思う。
4時半に帰宅。10分だけ茶の間で横になっていた。
娘夫婦が二階から追い出されたそうで和室で寛いでいる。
めいちゃんもそろそろ自分だけの部屋が欲しくなったのだろう。
「誰も入って来んといて」と二階から叫んでいた。
成長と共にこの先どうなるのだろうと思わずにいられない。
私は書斎として4畳半の小さな部屋を占領しているが
いくらめいちゃんの為であっても手放す気持ちは一切ない。
それは私から「書く」ことを奪うことに等しい。
夜明け前の詩もこの日記も書けなくなってしまうのだ。
この部屋だけは何としても守らねばならない。
もし死んだら。そうなればまあるく収まるがまだ死ぬわけにはいかない。
生きている限り書き尽くす。それが私の「生涯」なのだろう。
※以下今朝の詩
欠席
同窓会の通知が届く 迷うことなく 欠席を丸で囲んだ
もう懐かしいとは思わない 誰にも会いたくはなかった
友から着信があったが ワン切りをして無視する それが私の決めたことだった
歳月は悪戯な天使である 変わり果てた我が身をおもう もう少女の頃の面影など なにひとつ残ってはいない
海辺のちいさな町であった 潮騒のように恋をして 嵐が来れば深く傷ついた
それは過去だろうか それが思い出なのだろうか
老いの坂道を登りながら いったい何処に向かっているのだろう
春は何度も巡って来ては 満開の桜に心を預けている
私は樹齢を数えながら 穏やかな春を生きている
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