真夜中から今朝にかけてまとまった雨が降る。
午後には止んでしまったが慈雨となったようだ。
山里の川も一気に水量が増えたようで
田んぼに水を引くことも出来そうである。
四国の水瓶「早明浦ダム」の辺りもかなりの雨量で
一時的ではあるが取水制限が解除されたそうだ。
植物も畑の作物もどんなにか喜んだことだろう。
しかし雨は長続きせず明日はもう晴れの予報であった。
自然の営みには逆らえず空任せの日々が続くことであろう。

仕事は順調。例の大型車の整備がほぼ完了する。
明日は車検に漕ぎつけそうで一気に目の前が明るくなった。
今日は殆ど義父が修理を手掛けていた。
もちろん同僚も手伝っていたが技術的な違いも見える。
同僚にとっては良き学びの機会となったことだろう。
車検が完了すれば大きな売上となるので
月末の資金もなんとか整いそうである。
それもお客さん次第だが即金を期待するばかりであった。
工場が一段落したのを見届け整形外科のリハビリに向かう。
杖を付かずに駐車場から歩くことも出来て嬉しくてならない。
医師との面談で「もう治ったかもしれん」と告げると
「それは在り得んぞ」と云いつつ笑顔を見せてくれる。
療法士のU君は少し心配顔ではらはらしているように見えた。
やはり転ばぬ先の杖なのだ。その方が安心だと云う。
どうしようかと迷う。このまま杖を手放して良いのだろうか。
無理をし過ぎないように臨機応変が一番なのかもしれない。
買い物を終えて4時半に帰宅。
玄関のシクラメンが見事に咲き花が12本になっていた。
そうしてまだ小さな蕾が3つも見えている。
なんだか奇跡のようなシクラメンであった。
雪柳は雨に打たれないように軒下に置いてあったので
純白の可憐な花が溢れんばかりに咲いている。
今日は花屋さんで売れ残っている雪柳を見たのだが
大きな鉢に植え替えたのが良かったのだろう。
とても同じ雪柳には見えず一段と誇らしく思う。
日々の暮らしに花は欠かせず心が癒されるばかりである。
本格的な春になったらまた新たな花を植えようと思う。
去年の今頃は「桜草」が見事であったが
今年は冬の間に枯らしてしまい残念であった。
右隣の奥さんが毎年苗を分けてくれていたのだが
昨年から難病となり入退院を繰り返している。
ご近所でも有名な「花屋敷」だったが今はもうその面影もなかった。
花の世話も出来ずにどんなにか辛いことだろう。
これまで元気そのものだっただけに何とも憐れでならなかった。
いつ何があるやら分からない。それは誰しも同じであろう。
「まさか自分が」と思うような病気になることもある。
そうして日常を奪われ出来ない事が増えて行くのだった。
一年草もあれば毎年咲く花もある。
しかしこの世には決して永遠の命など在りはしないのだ。
※以下今朝の詩
洗濯
ざぶざぶと音がする 久方に聴く雨音であった
いのちを洗っているようだ 汚れを落とし染みを擦る どうだろうかと広げてみると しわくちゃのいのちである
ずいぶんと生きて来たから それは仕方ないことだろう 一度出来てしまった皴は 何と頑固なことだろうか
手のひらでぱんぱんと叩く その痛みに耐えねばならない
ささらとしていた若き日を思う 何度洗ってもそれは真っ新であった 辛いことや哀しいことがあっても 水に任せば息を吹き返したのだ
雨音が耳に心地よい どれほどの汚れであっても 洗い続けなければならない
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