ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2026年02月24日(火) 「歩く」ことは生きること

曇り日。夕方から小雨が降り始めている。

明日はまとまった雨になる予報だが

深刻な水不足が解消されるだろうか。

どうか恵みの雨になって欲しいものだ。


今朝もシクラメンに新しい蕾が五つも見えていた。

紙縒りのようなカタチをしていてとても可愛らしい。

どんなふうに花開くのだろう。その瞬間を見たいものである。

花屋さんのシクラメンはもう枯れ始めており

8800円で売っていたのが半額になっている。

おそらく買い求める人はいないだろう。

そう思うと何とも憐れでならない。



仕事はまずまず順調。例の大型車は最後の部品待ちとなる。

その間に予約で入庫していた乗用車の車検が完了した。

大型車の車検も目前となりほっと肩の荷を下ろす。

預かってからもう9日目であった。お客さんも待ち兼ねていることだろう。

これまで他社で車検を受けていたが整備不完全になっていたようだ。

お客さんはいくら修理代が要っても構わないので

完全に直して欲しいと願い出ている。。

大きな手間と苦労になったが多額の売上を思うと大助かりであった。


経営難は相変わらずで今日は重量税の精算があり

資金を絞り出して立て替えたがお先は真っ暗になった。

明日は自賠責保険の精算でありまたゼロになりそうである。

けれども「何とかなるだろう」と深刻には考えていない。

危機感を感じてじたばたしても何も変わりはしないのだ。


定時で仕事を終え浮き立つような気分でカーブスへ行く。

今日は朝からずっと杖なしで過ごしていたので

「いちかばちか」試してみようと思う。

結果は大成功で杖に頼らずに筋トレが出来た。

コーチやお仲間さんが褒めてくれるのですっかり有頂天になる。

「私は凄いんだ、やれば出来るんだ」と嬉しくてならない。

しかし帰宅して真っ先に夫に報告したら

「過信は禁物じゃ」と忠告されてしまった。

調子に乗れば怪我の元なのだろう。転ばぬ先の杖でなければならない。

けれども臆病になっていては先に進めないのではないだろうか。

これも努力だと思いたい。努力次第で目の前が明るくなるものだ。


「歩く」ことは生きることに似ている。

一日が一歩だとするともう随分と歩いて来た。

初めて歩いた日の記憶はないが

父や母は手を叩いて喜んでくれたことだろう。

歩けば転ぶ。転べば泣いたであろう幼い日。

抱き起こされることもあったに違いないが

その一歩が掛け替えのない成長に繋がったのだ。


今は誰も助けてはくれない。

脆くなった骨が粉々になるかもしれない。

そうして少しずつ「死」が近づいて来る。

だからと云ってどうして歩くことを止められようか。


※以下今朝の詩


   陽だまり

長閑な風景である
霞みがかった空から
柔らかな陽が降り注ぎ
もう一面の春であった

家出をしていた猫が
思い出したかのように
帰って来た午後のこと
餌を欲しがって鳴く

もう何処にも行かない
そんな約束も出来ずに
背を撫でると甘えて
逆らうこともしない

恋の行方も訊けずにいる
それはきっと遠い場所で
歩き疲れていたのだろう

紅白の梅が咲き誇る道
菜の花も風に揺れている

猫はおおきな欠伸をして
陽だまりを探しもとめる

明日のことはわからない
生きてさえいればと思う

春があふれて満ちてきた
何と優しい陽だまりだろう







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