二十四節気の「雨水」雪が雨に変わる頃。
また昔から農耕の準備を始める頃とされていたようだ。
義父もそうだが米農家さんは忙しくなりそうである。
今朝は夜明けを待ち兼ねて洗濯物を干していたら
ちょうど家の前をお遍路さんが通り掛かった。
「おはようございます」と声を掛けたが返事はない。
不思議に思っていたらどうやらアジア系の外国人だったようだ。
日本語が通じなかったのではないだろうか。
それでもせめて笑顔を見せてくれたら良かったのにと思う。
どんな時もあるものだ。たまたま通り掛かっただけである。
いつも通りの時間に家を出たら川向の国道を歩いていた。
男性だが髪がとても長く後ろで束ねてある。
荷物はそう大きくなく野宿ではなさそうだった。
その横顔に会釈をしたがひたすら前を向いて歩いていた。
縁もゆかりもないと分っていても旅の無事を祈らずにいられない。

仕事は相変わらずの忙しさであったが同僚はマイペースを貫く。
義父はまた昨夜のうちに一般修理を完了しており頭が下がる。
今朝はもう次の修理に取り掛かっており大助かりであった。
予約外の車検切れの車も入庫しており断ることも出来ない。
同僚の代わりに義父が明日整備をしてくれるそうだ。
事務仕事も忙しかったが何とか定時で終えカーブスへ向かう。
今日はいつものコーチがお休みで何となく寂しかった。
お仲間さん達の口数が少なかったのもきっとそのせいだろう。
楽しいようで楽しくないような30分であった。
4時過ぎには帰宅していたが庭先のクーラーに大きな魚が見えていた。
未だ休職中の娘婿が釣りに行っていたのだろう。
クーラーからはみ出すほど大きな魚だったので調理の心配をしていたのだが
夕方何処かに持って行ったようで食卓に上がることはなかった。
よくあることなので夫と顔を見合わせ「またか」と呟くばかりである。
それにしてもいったいいつまで仕事を休むのだろうか。
もう2ヶ月となりクビになるのではと心配でならない。
この件に関しては訊くこともならず一切の口出しも出来なかった。
夕食の支度を前に自室で一服していたら
SNSの通知があり「笠原メイ」さんの日記が更新されていた。
真っ先に駆けつけたつもりだったが2番である。
私と同じように更新を楽しみにしている人がいるのだろう。
今日の日記は「最高」に思う。もちろん詩も素晴らしい。
毎回リポストをしているが一度に10回位したい程であった。
今朝はこの日記の読者さんから褒めてもらってとても嬉しかった。
「日刊実話」だと云ってくれて何と愉快だろうと思う。
まさしく実話であって作り話ではないのだが
ここまで書いて良いものかと思いながら書いている。
最近はずっと義父の事を毎日書いているが
義父のプライバシーを守ろうともしていない。
それでも知らないことを良いことに書き続けているのだった。
家族の事にしても同じである。特にあやちゃんのことは
書いてはいけないことだと思いつつ書かずにはいられなかった。
書き残して置きたい。ただそれだけの理由かもしれない。
歳月が流れて読み返した時にきっと胸が熱くなるだろう。
あくまでも未来の為だと云えば聞こえは良いが
些細な日常の事でも「生きた」証になるように思う。
「日刊実話」にもきっと最終回があるだろう。
もしネットの海の藻屑となっても私には悔いがない。
※以下今朝の詩
子豚
子豚だった頃 木に登ったことがあった
しかしいまはもうのぼれない きっとおおきくなりすぎたせい
早春の山里の風景が好きだった それは長閑でほっこりとしている 田を耕す農夫のかたわらの雀たち 畑には菜の花が咲きひらひらと蝶が舞う
木に登ると空が近くなり 溢れんばかりの陽射しである 「わたしだけかもしれない」 子豚は誇らしくてならなかった
おおきくなると夢は夢のまま 叶わないことばかりが増える 木を見上げ溜息をつくばかり
確かに登ったことがあった そんな記憶にすがりつく まるで勲章のようなこと
何度も何度も訪れる春に 今もなお大きな木が聳えている
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