ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2026年02月11日(水) 雨が止んだら

小雨のち晴れ。ほんのお湿り程度の雨だった。

週末にはまた雨とのこと。どうか本降りであって欲しい。

大昔なら「雨乞い」をしたことだろう。


玄関先のシクラメンがまたぐんにゃり。

もうそろそろお終いかもしれないと思ったが

たっぷりと水を与えるとすっかり元気になった。

ポインセチアもまだ健在で玄関に彩を添えている。

これはあまり水を欲しがらず育てやすい。

どちらも春まで咲き続けてくれることだろう。


祭日返上の仕事であったが仕事にはならずに帰って来る。

予約のお客さんが車検期日を一年も早く間違えていたのだった。

初めての車検だったので会社にリストがなかったせいもあり

おまけに外国人さんで点検ステッカーを見たようだった。


コナンとキャット。オーストラリアから山里へ移住してきたご夫婦である。

昨年の春には愛娘のニーナちゃんが誕生し三人で暮らしている。

ニーナちゃんの何と可愛らしいことだろう。

無駄足ではあったがニーナちゃんに会えて良かったと思う。

そろそろ歩き始めるだろう。また会いたくてならなかった。


同僚と相談し10時で閉店とする。

待機していてもお客さんが来てくれるとは思えなかった。

義父は例の解体現場へ手伝いに行っており留守である。

私の一存であったが祭日らしく休むのも良いだろうと思う。


買い物を終えて11時には帰宅しており暇を弄ぶ。

仕事だと気合が入っていたのでぐんにゃりと折れていた。

例の如くで炬燵に潜り込みひたすら寝るばかりである。


4時には起きてしばらく自室で過ごしていた。

SNSでは「笹いろ玉虫」さんがエッセイを投稿していて読む。

やはりプロ並みの文章力で読みごたえがあった。

78歳の高齢であるが何だか少女のような趣がある。

「おんな」を捨てていないのだ。そこが私と違うのだと思う。

異質でありながら共感を覚えるのが不思議でならなかった。

老いを重ねてひしひしと最期の時が迫って来る。

その心細さと不安は私と同じなのかもしれなかった。


相互フォロワーであったが彼女は私の詩を読まない。

その方が気楽に思う。きっとささやかな抵抗があるのだろう。

蔑みられているのだとしても少しも口惜しさを感じなかった。


夕食後は「笠原メイ」さんの日記を読む。

今日も淡々と日常を綴っていたが素晴らしい感性である。

妹さんやおばあちゃんが出て来ると親近感でいっぱいになった。

私と同じく大した日常ではない。平凡で何でもないような一日が

彼の手に掛かると日記も詩となり成就しているように感じる。

根っからの詩人なのだ。何と素晴らしい才能の持ち主なのだろう。


私の詩は低迷していて「いいね」の数も少ないが

読んでくれる人がいてくれるだけでとても励みになっている。

笠原メイさんは毎朝読んでくれていて嬉しくてならない。


家業の「青さ海苔漁」が廃業となりもう川仕事に行くこともなくなったが

懐かしい思い出として書き残そうと思っている。

苦労を苦労とも思わなかった労働は人生の「宝物」であった。

他の誰に書けるだろうかと思う。私の精一杯の誇りである。


※以下今朝の詩


   収穫

薄っすらと夜が明ける頃
川船で漁場へと向かう
船外機のエンジン音が響き
魚たちに朝を知らせていた

川面は見渡す限りの緑で
ゆっさゆっさと波に揺れる
成長した海苔はとても逞しい

そっと手を添えて海苔を千切る
盥は見る見る間に緑に覆われ
やがててんこ盛りの山となる

盥が沈まないようにゆっくりと
川船に向かって歩いて行く
足元には魚たちが群れていた

やがて川船はずっしりと重くなり
収穫の歓びで胸がいっぱいになる
なんと愛しい海苔だろうとおもう

「いのうかのう」夫の声に頷き
川船の舳先に座り船着き場へ向かう

朝陽が射し始めきらきらと輝く漁場
緑の海苔がほんのりと紅く染まる

「ようやったな」顔を見合せば
疲れなどまったく感じないのだ



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