良く晴れて気温も高くなったが風の強い一日となる。
まるで北風と太陽のようであった。
北風も明日からの寒波の準備を始めているのだろう。
天気予報を見ているとやはり四国にも雪雲が掛かるようだ。
内科の通院日だったので8時前に家を出る。
それがよほどうっかりしていたのだろう。
四万十大橋を渡って左折しなければならないのを
毎朝の習慣で右折し通勤路を走っていた。
随分と走ってからやっと気づき慌てて引き返す始末であった。
習慣とはオソロシイものである。我ながら可笑しくてならない。
病院は院長先生が不在の為かずいぶんと空いていた。
若い先生とは以前から折り合いが悪く気が進まなかったが
今朝で薬が切れてしまっていたので仕方なく診てもらう。
医師と相談の上、また血圧の薬を増量することになった。
取り合えずひと月分で様子を見ることにする。
今度こそと思う。せめて140台を保ちたい。
診察は9時には終わっていたが薬局で一時間程待たされた。
私の後から来た患者さんが次々に帰って行くので不可解でならない。
薬剤師さんが机の上に薬を並べてからもしばらく待たねばならなかった。
訊けば薬が増えたので手間取っていたのだそうだ。
文句を云っても仕方なくやっと薬を受け取り山里へと向かう。
今日は同僚も通院日で午後からの仕事であった。
車検整備はなかったがタイヤ交換の予約が4台も入っている。
この時期は冬タイヤに交換するお客さんが多い。
そんな忙しさをよそに義父は今日も田んぼに出掛けていた。
私も定時で終わるわけには行かず3時半まで待機する。
同僚は一人でてんてこ舞いしており手を休める暇もなかった。
買い物を済ませ4時半に帰宅。不思議と疲れは感じなかったが
少し精神的に参っているように感じる。
今朝はSNSで通りすがりの方から詩を批判されていた。
読んでくれたのは有難いが心を踏みにじられたように感じる。
響君に相談したらSNSではよくあることなのだそうだ。
「返信はしないこと」とアドバイスをもらい即刻ブロックをする。
そうして「こころの庭」を守り続けなくてはいけない。
常に扉を開けているから誰でも自由に入って来れるのだ。
踏み荒らす人も居るだろう。石を投げ込む人もいるだろう。
「決して負けてはいけない」と響君が励ましてくれた。
例のK子さんも私の詩に触れてくれていて
「感情を表に出してはいけない」と忠告してくれた。
感情イコール詩であってはならないのだろうか。
こころを込めて書いていれば自然と感情が溢れ出してしまう。
その感情を押し殺すことは容易な事ではないと思う。
不安であっても心細くてならなくても微笑んでいろと云うのだろうか。
これも響君に相談したがやはり彼女がクリスチャンであるからだと云う。
常に神に守られておりそもそも「希望」を必要としないのだ。
そんな彼女に私の詩が伝わるわけがなかった。
しかし他の誰が忠告してくれるだろうか。
母のように慕うK子さんのことを尊敬せずにはいられない出来事だった。
明日の夜明け前にも詩を書くだろう。
私の庭には野すみれの種が根付いているかもしれない。
※以下今朝の詩
野原
そこはきっとお花畑なんだ 可愛い蝶々が風に舞っているよ
チューリップかもしれない 春の花々が目に浮かんで来た
けれどもわたしは野原が好き たんぽぽや野すみれが好きだ
若草に寄りそうようにひっそりと咲く 蝶々に見つけてもらえなくても きっと誰かが見つけてくれるだろう
春の陽射しが燦々と降り注ぐ やわらかな優しい風が吹き抜けていく
たんぽぽは綿毛となり 野すみれは種をのこす
そんな生き方を選んだ 誰にも否定されたくはない
人々はお花畑に集まり 口々に愛でるけれど
私は野原に咲き続ける 寂しいとは決して思わない
誇らしくてならないのだ このささやかな「いのち」が
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