ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年12月21日(日) 魚のように

ぽつぽつと静かに小雨が降る朝だった。

気温は16℃もあり随分と暖かい。

窓を開けてしばらく雨を見ていた。

なんと素直で真っ直ぐな雨なのだろう。

しんみりと想うことがあるのは幸せなことだ。


雨は朝のうちに止んだがどんよりとした曇り空である。

煙草を何本も吸い続ける。もうどうしようも出来ない。


「ドクターチル」と云う無害の電子煙草を買い求めたが

喉への刺激が強く咳き込んでしまい私には合わないようだ。

定期購入にしていたので直ぐに解約手続きをする。

紙煙草よりずっと安価であったが合わないものは仕方ない。

藁へも縋る気持であったが藁はあっけなく流れて行った。


お昼にはまた巨大なお好み焼きを焼いた。

フライパンで焼き半分こにしたのだが夫には多過ぎたようだ。

食べ切れないのを私のお皿に入れるので頑張って食べる。

お腹がはち切れそうなほどいっぱいになり苦しくてならない。


そのまま茶の間で横になり延々と眠り続ける。

目覚めればもう4時で半日を無駄にしてしまった。

台所の流し台にはフライパンや汚れた食器がそのままである。

やれば出来ただろうにといつも思う。

何と怠け者になってしまったのだろう。


夕食は簡単に「寄せ鍋」にしたが娘が殆どしてくれた。

夫が卓上コンロを出してくれて直ぐに食べられる。

もちろん家族団欒などありはしない。

二人っきりの夕食にもすっかり慣れてしまった。


娘達が食べ始める時間になったがめいちゃんが独りきりだった。

娘婿もあやちゃんの姿も見えない。

娘は台所に居たがまだ食べようとしないのだった。

また老婆心が疼く。これで良いのだろうかと思う。

とにかく要らぬ口を叩いてはいけない。

せっかくの寄せ鍋も憐れで可哀想に見えた。


夕食後SNSを見ていたら大好きなフォロワーさんが

「もう潮時かも知れない」と記してあり大きな衝撃が走る。

他のSNSに登録したので近いうちに去るのだそうだ。

私はその方の書く文章がとても好きでならなかった。

もう読めなくなるのかと思うと哀しくてならない。

でももう何も伝えられない。何と儚い縁だったことだろう。

ネットの海ではよくあることで私も慣れているはずだったが

例えば太平洋から日本海へと向かう「魚」のようである。

去る者は追ってはならない。同じ海であっても探してはならないのだ。

寂しく哀しい結末が待ってるが「魚」はあくまでも自由であるべきだ。

その方が伸び伸びと泳げるように願うしかないだろう。


こころにぽっかりと穴が開いた。

しかしその穴にいつまでもしがみつく訳にはいかない。

大海である必要はなく私は入り江を漂っている雑魚に他ならない。


※以下今朝の詩


    傘

かなしみがふってくる
さびしさがふってくる

傘はどこに置き忘れたのだろう
薄紫の大好きな傘だったのに

ふゆのかなしみはつめたい
ふゆのさびしさはつめたい

道は果てしなく続いているけれど
膝を抱えてうずくまっている
決して歩けないのではないのに
途方に暮れる時があるのだろう

最後に傘を差した日を思い出している
夏だったのか秋だったのか
季節を終うように傘を閉じた

探せばきっと見つかるだろう
もし見つけられなかったら
濡れてしまえばいいのだ

かなしみがふってくる
さびしさがふってくる


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