曇り日。気温は20℃近くまで上がり異様な暖かさとなる。
今年の冬は暖冬なのかもしれないが天気情報はない。
おそらく年が明けてから本格的な寒さがやって来るのだろう。
南天の実はもちろんのこと千両万両、おたふくの真っ赤な葉も鮮やかである。
縁起ものなのでお正月の生け花や門松に使われることだろう。
おたふくは低木で何とも愛らしい。
高校生の頃から生け花を習っておりたしなみは身に着けているが
もう何年も花を活けたことがなかった。
今年も殺風景なまま新年を迎えることになりそうだ。
小掃除どころか大掃除も出来ずにいる。
何もしなくても新年は来てくれるだろうか。
花屋さんの店先にはシクラメンが沢山並んでおり
クリスマスの飾り付けもしてあり微笑ましく眺める。
大きな鉢に入れられた白いシクラメンが何と8800円とか。
そんな高価な花を買い求める人がいるのだろうかと思う。
安くても3000円、それさえも買えない貧乏人である。
めいちゃんが誕生日に贈ってくれたポインセチアがもう弱り始め
元旦までは持ちそうにない。水遣りをしても花は萎んだままだった。
昨年は市内の農業高校の生徒さん達が出張販売をしていて買い求めた。
今年はどうなのだろう。高校に問い合わせてみようかとも思う。
シクラメンは長持ちし春先まで咲き続けるのだった。

土曜日の出勤。今までカーブスの為に休んでいたことが悔やまれる。
わずか30分の筋トレの為に土曜日を犠牲にしていたのだ。
何と愚かなことをしていたのかと思わずにいられなかった。
今日も工場は火の車であった。例の大型車は一向に捗らず
とうとう業を煮やした義父が手助けをしてくれた。
同僚なら一日中掛かる作業でも義父なら2時間で済ます。
同僚も40年以上の熟練工だが義父の足元にも及ばなかった。
おかげで車検整備はほぼ完了となり月曜日には納車出来そうである。
午後はスクールバスの点検もあり同僚の機嫌がすこぶる悪い。
ぶつぶつと文句を云うので私が喝を入れるしかなかった。
おまけに部品屋さんが届けてくれていたオイルエレメントが品違いである。
急いで電話をすれば「本日の業務は終了しました」とガイダンスが流れた。
仕方なく営業係の携帯に電話したら「留守番センターにお繋ぎします」だ。
どいつもこいつもと腹が立って同僚と散々文句を云い合う有り様である。
義父は午後から大切な会合があり土佐清水市へと出掛けていた。
今夜は地区の年末総会もあったが欠席にしたらしい。
おまけに母の親友のご主人が亡くなり今夜はお通夜だった。
90歳を過ぎており老衰だったようだが残念でならない。
あの世で母が迎えてくれることだろう。仲良くお酒も飲めるだろう。
義父は明日の告別式に必ず参列してくれるそうだ。
山里はお葬式のラッシュである。親しくしていた人が次々に亡くなるのだ。
スクールバスの点検がそれなりに完了したのを見届け退社した。
無性にアイスが食べたくなり買い求め食べながら帰る。
FMラジオから市内で居酒屋をしている「たかちゃん」の声が聴こえた。
もう夜の街に出掛けることも出来なくなったが
カウンターでたかちゃんとしゃべくりながら飲んだ芋焼酎が懐かしい。
「煙草も何ぼでも吸えや」といつも云ってくれた優しいたかちゃんである。
もう全てのことが「過去」なのが切なくてならない。
少女の頃の悲しい記憶さえも過去になってしまった。
あの時ああしていればこうしていればと悔やむことも多いが
何もかもが「運命」だったのだと思う。
運命は変えられない。そんな運命があってこその「いま」である。
この先、生きれば生きる程運命に翻弄されることだろう。
それでも生き抜いたことを誇りに思えるようになりたいものだ。
※以下今朝の詩
朝礼
きをつけまえへならえ やすめさがれすわれ
号令は好きではない 命令は好きではない
赤い帽子と白い帽子 こども等は空のした 膝を抱え座っている
真冬の校庭に北風が吹き 枯葉がころころと舞っている
花壇には水仙の花が咲き 誰もがほっこりと眺める
これからなにがはじまるのか
口を聞いてはならない 笑ってもいけないようだ
空はどうして青いのだろう 風はどうして冷たいのだろう
きりつかいさん 教室へ戻るとほっとする 一時間目は国語の授業だった
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