陽射しがたっぷりと降り注ぎぽかぽかと暖かだった。
週末には久しぶりの雨とのこと、その後また寒波が襲って来るらしい。
今はまだ暖冬にも思えるが厳しい寒さが続く日もあるだろう。
あたりは冬枯れた景色であるが山茶花が彩を添えている。
南天と同じように庭先に植えている家が多い。
隣家には八重のピンク色の山茶花が咲いている。
数年前にご主人を亡くされた奥さんが住んでいるのだが
隣だと云うのに滅多に顔を見ることはなかった。
高齢であり足も不自由なので出歩くこともない。
昼間はデイサービスに行っているようで送迎の車をよく見かける。
買い物には福祉タクシーを利用しているようだった。
山茶花は私が嫁いだ頃から既にあり毎年咲くのを楽しみにしている。
奥さんも気づかないはずはないのだが庭に居る姿を見たことがなかった。
老いることは切なく何とも寂しいものである。

朝のうちに車検を済ませ義父はまた田んぼへ出掛けた。
「もう用事はないな」と念を押して嬉しそうに出掛けて行くのだった。
工場はまた新たな車検が入庫しており同僚も忙しい。
そうこうしていれば予約なしでタイヤとオイル交換が入って来る。
公用車だったが定期点検を怠っておりタイヤは擦り切れていた。
おまけにオイル交換もしばらくしておらず困ったものである。
飛び込みだからと断ることも出来ず同僚は余計に忙しくなった。
2時には義父が帰って来て「腹が減って力が出んぞ」と
居室に駆け上がり大急ぎで昼食を食べたようだ。
その後も一休みもせずまた急いで田んぼに赴く。
とても82歳の高齢者には思えないパワフル過ぎる義父である。
義父を送り出してから整形外科へと向かう。
今日はリハビリだけだったが予約時間まで30分程待つ。
その間に血圧を測ったら135と珍しく正常であった。
U君に話したら滅多に無いことなので驚いていた。
腰上げも腹筋もして足の裏まで揉み解してくれる。
痛む左足よりも庇っている右足がかなり疲弊しているそうだ。
極端な話、右足だけで歩いているのと同じなのだろう。
何としても現状を維持しなければならない。
全く歩けなくなったらもうお終いである。
帰宅したらめいちゃんの友達が遊びに来ていて
娘の姿が見えなかったので何処に居るのだろうと心配になった。
娘の車はあるので家の中に居ることは間違いない。
5時になると物置状態になっている和室から出て来た。
茶の間には炬燵もあるのにどうしてだろうと思う。
「炬燵に入って居れば良いのに」と云うと
それは絶対に嫌なのだそうだ。
「どうして?子供の頃には炬燵が好きだったじゃない」そう云うと
「もうこどもじゃない」と半分笑いながら応えるのだった。
確かに茶の間は夫の部屋と化しているが
茶の間である限り家族の憩いの場所であるべきだと思う。
遠慮でも何でもない。ただ「嫌」と云う理由なのが納得出来ない。
そこまで隔てなければいけないのだろうか。
それほどまでに父親を避けたいのだろうか。
娘に問い詰めることも出来なかったが何とも哀しい現実であった。
これが同じひとつ屋根の下に暮らす「ふたつの家族」である。
※以下今朝の詩
温度
そっとふれてみる つめたいのかあたたかいのか
ひとにはそれぞれ温度があり 血が流れこころを持っている
いつもほがらかであかるいひと 独りぼっちが好きだけれど さびしがりやのひともいる
手をつなごうとするひと 手をぎゅっとにぎりしめるひと
声をかければほほえむひと 声をかければ耳をふさぐひと
見つけてほしくて目立つひと 窓を閉めて閉じこもるひと
それぞれの温度が生きている 誰の血もきっと温かいのに違いない
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