2025年03月09日(日) |
待てば海路の日和あり |
朝は少し冷え込んだが日中は穏やかな晴天となる。
気温も15℃まで上がりすっかり春の陽気であった。
昨年暮れにお向かいの奥さんから頂いた葉牡丹の寄せ植えが
ぐんぐんと育ちもう少しで花が咲きそうである。
ろくに水遣りもせずにいたのに何と健気なことだろう。
今朝は労うようにたっぷりと水を与えた。
そろそろ土筆の坊やが顔を出しているかもしれない。
かつての散歩道だった土手の風景を目に浮かべる。
あの頃は随分と歩いたものだ。思い出すと切ないものである。
医師からは手術をしない限り完治は在り得ないと云われているが
リハビリの効果だろうか最近は杖に頼らずに歩けるようになった。
しかしほんの数十メートルが限界で土手まではとても無理である。
緑のよもぎ。可愛らしいたんぽぽ。土筆の坊やにも会えはしないだろう。
ほんの3年前には出来ていたことがもう出来なくなってしまった。

今朝は朝刊を開いていた夫が「おい、出ているぞ」と教えてくれた。
これでもかこれでもかと投稿し続けていた短歌がやっと入選していた。
諦めることは容易いがまるで執念のような投稿であった。
これまでどれ程踏みにじられて来たことだろう。
やっと光が射し込んだようで救われたような気分になる。
もしかしたらお情けだったかもしれないが素直に嬉しさが込み上げて来た。
どれ程の荒波でも船を漕ぎ出して行くべきなのだろう。
まさに「待てば海路の日和あり」である。
昼食を食べ終わるなりまた炬燵に潜り込み寝ていた。
浅い眠りだったらしく一時間程で目覚める。
夫が大相撲の春場所を観ておりしばし一緒に観戦していた。
幕下の取り組みも興味深くけっこう見応えがある。
今日から2週間であるが夫の楽しみが出来て良かった。
夕食も大相撲を観ながらで大の里は勝ったが豊昇龍は負けて残念である。
新横綱としての威厳も在り本人もどんなにか悔しかったことだろう。
気負い過ぎたのかもしれんなと夫も嘆いていた。
私は豊昇龍が何だか可哀想でならない。
話しは前後するが三時頃、あやちゃんの同級生達が訪ねて来てくれた。
夫が対応してくれたがあやちゃんは部屋に閉じ籠って出て来ない。
会いたくないのだそうだ。きっと複雑な心境なのだろう。
照れ臭いのかもしれないが会わないことを決めたようだ。
中学生になれば今以上に距離が広がることだろう。
もう丸2年も学校に行っていないのに誰も忘れてはいない。
それがどれ程有難いことなのかあやちゃん自身も分かっているのだと思う。
けれどもおとなが考える以上にその「殻」は強固なのかもしれなかった。
「ねえねえ、今夜は何?」階下へ降りて来たあゆあちゃんは
いつになく朗らかで明るい笑顔を見せてくれたのだった。
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