雲一つない冬晴れ。昨日までの雪が嘘のようであった。
おそらく最強寒波の峠を越えたのだろう。
このまま春らしくと願うがまだ寒の戻りがありそうである。
今日の風は南風。土地では「沖の風」と呼ばれている。
これも春の兆しに違いなく心地よく風に吹かれていた。
朝のうちに髪を切りに行く。2センチの憂鬱もさっぱりだった。
けれども鏡に映った顔の何とおぞましいことだろう。
今日ほど自分が醜いと思ったことはなかった。
若い頃の面影など何処にもない。もう手遅れだなと思う。
髪は軽くなった。そうして気分も軽くなればそれに越したことはないが。
午後は例の如くでまた炬燵でごろごろと寝るばかり。
もうお休みは要らないと思う。明日が待ち遠しくてならない。
どれほど疲れを感じても仕事が好きなのだろう。
3時過ぎに目覚めれば夫が洗濯物を取り入れてくれていた。
おひさまの匂いがする洗濯物は久しぶりである。
それからしばらく自室に籠り8年前の2月の日記を読んでいた。
母のこと。孫たちのこと。川仕事のことなど懐かしい。
毎朝孫たちを保育園に送り届けるのが日課だったようだ。
二人の写真もあり幼い頃の何と微笑ましいことだろう。
母は入退院を繰り返していた。仕事が身体に堪えていたのだと思う。
楽をさせてやりたいと願う気持ちでいっぱいだったようだ。
孫たちはもう私を頼ることはなくなり母は死んでしまった。
僅か8年とも思うが随分と歳月が流れたことを感じる。
書き残した日々は「記憶」そのものであり私の「宝物」なのだろう。
あと何年この場所で書き続けられるか定かではないが
たとえ消滅する定めであっても書き続けたいと強く思う。
娘達が夕食不要とのこと。夫と牛肉多めの野菜炒めを食べた。
宿毛市内に「天下茶屋」と云う焼き肉店がありそこのメニューである。
お店にはもう何年も行ったことがないが家で手軽に食べられるのが良い。
娘はどうやら「気志團」のコンサートに行っているようだ。
何も話してはくれなかったがあやちゃんが教えてくれた。
若い頃には追っかけをしていて名古屋まで行ったこともあった。
どんなにかテンションが上がっていることだろうか。
もう40代だが一瞬で20代に変わってしまうことが出来る。
何でも話してくれた20代の娘はもういない。
知らないことがどんどん増えて行くばかりであった。
歳月は確かに「記憶」に違いないが「過去」にだって成り得るだろう。
私のように波乱万丈に生きて来た者には「傷」だって残る。
その「傷」が「罪」になり死ぬまで背負っていかなければならない。
それでも生きたいと願う。それが私の「人生」なのに違いない。
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