ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2025年01月13日(月) はぐれ鳥

たっぷりの陽射しが降り注ぎ冬晴れの一日となる。

「成人の日」で祝日であったが

四万十市は既に1月3日に祝典が行われており実感は湧かず。

近隣市町村も同じくでこれも田舎ならではのことだろう。

都会から帰省する若者が多いお正月にするのが習いであった。


息子や娘の成人式を懐かしく思い出すことはあったが

それももう20年以上も昔の事となり遠い記憶となった。

それよりも孫達であるがあやちゃんは後8年。めいちゃんは10年である。

何としても長生きをして晴れ姿を見たくてならない。



この三連休はまるでお正月休みの続きのようであった。

ゲンキンなものでインフルだったことも忘れるぐらいである。

朝から寝て午後も寝る。ほぼ一日中炬燵に潜り込んでいた。

怠惰を貪りつつ無気力を愉しんでいたのだろう。

「新しくなる」ことなどとても考えられなかった。


E君に紹介して貰っていたネット詩誌への投稿を諦める。

もうその件に関してE君と語り合うこともないだろう。

唯一の仲間のように思っていたが私の思い違いだったようだ。

全て私に落ち度がありE君には何の責任もないのである。

E君は私の詩をあれ以来全く読まなくなった。

もちろん反応もなければ感想もあるはずはない。

それが「仕打ち」なのだと思わずにいられなかった。


仲間がいなくなればまた独りぼっちである。

けれどもそれは私が望んでいたことではないのだろうか。

今日はふっとそんなことを考えていて気が楽になった。

決して群れることのない「はぐれ鳥」なのに違いない。


大空を自由気ままに飛び交っていても満たされはしないだろう。

それは決して「飛躍」ではないからである。

私は飛躍するために空を選んだのではないのだと思う。


あくまでも生きるための空であった。

詩は「いのち」であり唯一の「糧」である。



       芽


   むくむくとしている
   いま私は土に埋もれ
   雪の気配を感じている

   夢だったのだろうか
   確かに声が聴こえたが
   応えることが出来ない

   群れるほどの強さはなく
   独りはぐれてしまった
   大空では在り得ないのだ
   どれ程あがいても鳥にはなれない

   辺り一面の雪である
   私は顔どころか頭も出せない

   ただ土はあたたかく
   命の在処をおしえてくれる

   やがて春の息吹を感じたら
   ひとつきりの芽になりたい


 < 過去  INDEX  未来 >


anzu10 [MAIL] [HOMEPAGE]

My追加