陽射しはあったが風が頬を刺すように冷たかった。
四国も山間部は雪が降っていたようだ。
やがては平野部にも雪の日が来ることだろう。
今朝は暖かい布団から直ぐに出られずぐずぐずしていたら
いつも靴下を履かせてくれる夫に「もう知らんぞ」と言われる。
それは大変と飛び起きベットに足を投げ出していた。
毎朝のことで夫には本当に感謝している。
詩を書く時間も限られあたふたとしながらだったが
いざ書き始めてしまうとけっこうすらすらと書ける。
わずか20分で「がらんどう」と云う詩が出来た。
「空っぽ」とは違う「がらんどう」なのだ。
自分で書きながらその違いが何となく分かった。
いつまで経っても満たされることのない空虚のようである。
足るを知らない限りそれは永遠に続くことだろう。
8時を過ぎてからまたスペースでE君と話した。
2度目であったがやはりずっと昔から知っているように思う。
それが不思議でならない。懐かしいとしか言いようがなかった。
よほどの縁があったのだろうと感謝するしかない。
仕事の話をするE君の目がきらきら輝いている。
顔は見えないが感じるのだ。とても意欲的であった。
心から好きな仕事に恵まれているからだろう。
それはきっと今しか出来ないことなのだと思う。
詩の話が出来るのもE君だからこそである。
私はずっと一匹狼を貫いて来たので仲間がいなかった。
当たり前のように孤独で詩と向き合って来たのだと思う。
自分の詩の良し悪しも分からず虚しさだけが残った。
それでいてちっぽけなプライドを捨てきれずにいる。
種を蒔き続け芽が出るのを待つばかりの人生ではなかっただろうか。
おそらくそれは今後も続くであろう宿命のようなものだ。
最後には詩ではなく「死」が待っているのだろう。
そんな宿命を背負って如何に生きるかである。
この世には何ひとつ残せないのかもしれない。
それこそが「がらんどう」なのではないだろうか。
ひっそりとした静寂がありその片隅に横たわる私が見える。
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