陽射しはたっぷりとあったが午後から冷たい風が吹く。
最高気温が昨日よりも6℃も低かったようだ。
明日はまだ低くなるそうでいよいよ本格的な冬となるだろう。
今朝は55年前の朝の事を詩に書いた。
私にとっては決して封印出来ない記憶である。
陰鬱な詩にならないように心掛けたつもりであるが
なんだかお涙頂戴みたいな詩になってしまった。
けれども書きたくてならなかった詩であることには違いない。
記憶は死ぬまで付きまとうことだろう。それで良いと思っている。
やがては心から母を赦せる日が来るのかもしれない。
特別な日であることが頭から離れず今日ほど不安な日はなかった。
通勤途中に事故を起こし死ぬかもしれないと思う。
ハンドルを握る手が小刻みに震えていた。
無事に職場に着きみい太の姿を見ると安堵の気持ちでいっぱいになる。
いつもと変わらない朝なのだ。いったい何に怯えていたのだろう。
いざ仕事を始めると悪夢から覚めたように生き生きとして来る。
来客も多く笑顔で会話が弾む。話し相手が欲しかったのかもしれない。
お客さんが愉快な話ばかりして笑わせてくれたのだった。
冬タイヤ交換の予約も入いりまたまたホワイトボードがいっぱいになる。
くたばるわけにはいかないのだ。とにかく仕事が一番だと思う。
天下の回り物である「お金」のことで頭がいっぱいになっていた。
まるで金の亡者のようであるが稼げる時に稼がねばならない。
整形外科のリハビリがある日で3時前に退社する。
駐車場で古い友人のお母さんに会いしばし話し込む。
もう30年近く通っているそうで途方に暮れるような話であった。
私はまだ2年目だが先が長いことだろう。覚悟が必要である。
リハビリ室に向かうエレベータの中でU君が「誕生日ですね」と
言ってくれ「おめでとうございます」と笑顔を見せてくれて嬉しかった。
ちっともめでたくなんかないと思っていたのだが有難くてならない。
55年前の記憶が一気に薄れる。いったいどれ程の拘りなのだろうか。
生前の母は既に封印していたようだった。
そのせいか一度も謝罪したことはなかった。
母にとっては人生最大の汚点だったのだろう。
触れられたくない過去は誰にでもあるのだと思う。
最後に今朝書いた詩をここに残して置きたい
霜柱
十三歳の誕生日であった 目覚めると母の姿がなく 寒々とした部屋の片隅に 置手紙さえなかったのだ
外に出ると一面の霜である 弟を起こし伯母の家へ行く
霜柱を踏むさくさくと踏む
離れて住む父に知らせなくては そればかりを考えていた
霜柱を踏むさくさくと踏む
伯母の家がやたら遠く感じる 優しい伯母の顔が目に浮かんだ
弟は歩きながら泣いていたが 私は涙ひとつこぼさなかった
霜柱を踏むさくさくと踏む
母は私を生んだその日に 捨てることを選んだのである
霜柱を踏むさくさくと踏み続けた
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