雨上がりの晴天。陽射しが降り注ぎぽかぽかと暖かい。
「小春日和」は冬の季語だがまだ冬とは思えず
「秋晴れ」と云った方が相応しいだろう。
夫に手伝ってもらって炬燵布団とカーペットを干した。
明後日から冬らしくなるようなのでもう冬支度である。
朝の温度が低くなると温風ヒーターも必要になるだろう。
そろそろ灯油の準備もしておかなければならない。
ほうれん草の種蒔きどころではなくごろごろと寝てばかり。
3年前までは川仕事に出掛けていたのが嘘のように思う。
夫も私も楽になったがこの上なく怠惰に過ごすようになった。
長年頑張ったご褒美だと思えば有難いことである。
あとどれ程の老後が残っているのか分かる由もないが
ゆったりと穏やかに過ごしたいものだと思う。
午後の昼寝から目覚めてふと思い立ち3年前の日記を読み返していた。
青さ海苔の収穫が僅かにあった最後の年の事である。
他の誰でもない私が「嘆いてはいけない」と書いてあった。
まだ希望を捨ててはいなかったのだ。翌年こそはと思っていたのである。
その頃はまだ足の痛みもなくお大師堂にもお参りに行っていた。
手を合わせどれ程の事を願ったり感謝したことだろうか。
すべてが過ぎ去ったことであるが「歩み」だったのだと思う。
長い人生のほんの一部分かもしれないが掛け替えのない日々であった。
一年生になったばかりのめいちゃん。三年生のあやちゃんもいた。
色んなやり取りや会話が記されており懐かしくてならない。
もう保育園の送り迎えをしなくても良くなった私にあやちゃんが
「おばあちゃん楽になったね」と言ってくれた日もあった。
優しくて思い遣りのある子だったのだ。それは今でも変わらないと思う。
ぐるぐると回り続ける秒針。そうして時が刻まれて行く。
決して後戻りが出来ないけれど思い起こすことはいくらでも出来る。
今この時も二度とないが書き残すことは出来るのだ。
この日記も22年目となったが私達家族の歴史のように思う。
まだ嫁ぐ前の娘のこと。結婚すると言って突然家を出た息子のこと。
私は恋をしていてまだほんの少し「おんな」だったこと。
父の死。夫の失業。愛犬あんずの死。姑さんの死。母の死。
数え切れない程の出来事が走馬灯ように浮んで来るのだった。
何よりもこの長い年月を寄り添ってくれた人達が居ることを忘れてはならない。
読んでくれる人達のおかげで今まで書き続けることが出来たのだった。
あやちゃんの願いでSNSのリンクを外してしまったので
今後は家族の目にも触れることはないだろう。
死後のことを考えるとなんだか儚くてならないが
私の存在が消えてしまうのではないのだと思いたい。
明日も書けるだろうか。まさか最後ではあるまい。
いつもいつもそう思いながら一日を書き残している。
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