曇り日。天気は下り坂のようだ。
気温は20℃を超えていたが風があり随分と涼しく感じた。
朝の道。国道の「伊豆田トンネル」を通過中に
リヤカーを引っ張りながら歩くお遍路さんを見かけた。
暗かったので荷物の様子まではよく分からなかったが
生活必需品一式を積んでいるように見えた。
確実に野宿である。何と苦労な旅だろうと憐れにも思える。
交通量の多いトンネル内を歩くのも危険が伴うだろう。
逆打ちだったので東に向かう。次の札所は四万十町の岩本寺だった。
しばらくは海岸線だが「片坂」の厳しい峠はどんなにか辛いに違いない。
故郷を捨てた職業遍路さんなら尚更のこと不憫でならなかった。
義父が高知市へ出張。今日は整備振興会の理事会があった。
スーツ姿に赤いネクタイがよく似合う。とても81歳には見えない。
「忘れ物はないかね?気を付けて行ったよ」
義理の娘であるがまるで妻であるかのように送り出す。
その後は同僚と肩の力を抜きぼちぼちと仕事をこなすばかりである。
来客があり新車購入が決まる。明日にでも契約をと言ってくれた。
早く義父に報せたかったが会議中なので明日の朝にすることに。
以前から脈はあったのだがはっきりとした返事はなかったのだ。
やっと決心してくれたことがとても嬉しくてならない。
営業は私の得意分野であるが最終的には義父に任すことにしている。
そうして立ててやることも私の仕事であった。
来客が途切れた頃を見計らって2時過ぎに退社する。
娘が家に居てくれるので何とも気楽であった。
「さあ今夜は何を作ろうか」買い物にも気合が入っていた。
4時前に帰宅したら洗濯物は畳んでくれていたが夫も娘も姿が見えない。
娘の車は在ったので咄嗟に義妹に何かあったのではないかと思う。
すぐ近所なので駆け付けることは出来たがその前に夫に電話してみた。
そうしたら娘と一緒に青さ海苔の作業場に居たのだった。
娘婿が早めに帰宅していたので機材の後始末をしていたらしい。
鉄製なので業者に運び込めば買い取ってくれるのだそうだ。
海苔の洗い機、網の洗い機等を処分することになった。
もうこれでとうとう「海苔養殖業」ともお別れである。
40年以上もの歳月を思うとしみじみと思い起こすことも多いが
綺麗さっぱりである。何と潔い最後なのだろうと思う。
夫の一存であったが作業場は娘婿に譲ることに決まっていた。
好きなように使えば良いと言ってあり娘婿は大喜びだった。
財産など何もないのだ。譲るものがあるだけでも良かったと思う。
乳飲み子の娘を背負いどれほど精を出したことだろう。
息子は土手から土筆を摘んで来て心を和ませてくれた。
もう二度と戻れないあの頃が懐かしくてならない。
ブランド品であった「四万十川の青さ海苔」は全滅してしまった。
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