明け方まで小雨が降っていたが日中は曇り空。
今日も夏日となり蒸し暑さを感じた。
10月も中旬だと云うのにエアコンのお世話になる。
そんなことがかつてあっただろうかと思う。
夏野菜の胡瓜がまだ獲れているのだそうだ。
しかも畑ではなくベランダで栽培していると聞きおどろく。
よほど管理が良いのだろうが毎朝収穫しているそうだ。
そこではっと閃く。来年は庭先に胡瓜を植えてみたらどうだろう。
大きめのプランターを買ってミニ菜園にするのだ。
そう考えただけでわくわくとして来る。
しかし夫が手伝ってくれるだろうか。
「胡瓜なんて買えばいい」と言われたら一気に夢が破れてしまう。
亡き姑さんが残してくれた畑はすっかり荒れ果ててしまった。
今の時期なら大根やほうれん草の種を蒔き楽しみなことだろう。
輪転機は在るが耕すこともままならない不自由な身である。
夫が野菜作りに目覚めることなどとうてい無理な話であった。
やっと三連休が終り火曜日からのスタートである。
大袈裟かもしれないが武者震いをしてしまう朝であった。
あれもこれもと仕事の事ばかり考えて気分は独楽鼠である。
出勤時間は30分であったが今朝は何故か煙草を吸いたくなかった。
このまま止めてしまえるかもしれないと目の前が明るくなる。
職場に着いてもそれは変わらず喫煙所に向かうこともしなかった。
しかし義父の「すったもんだ」が始まり一気に辛くなる。
決して怒らせてはいけないので神経を尖らせていたのだろう。
居ても立ってもいられなくなりとうとう煙草を吸ってしまった。
吐き気がし咳き込む。そうしてまた自己嫌悪に陥るばかりである。
追い打ちを掛けるように弟から電話がありお米の催促であった。
先日から催促があったのだが延ばし延ばしにしていたのだ。
おそるおそる義父に話すと機嫌が悪く「困ったなあ」の一言である。
最後の稲刈りも終りそこそこの収穫はあったのだが
「十和錦」は例年の三分の一しかなかったのだそうだ。
毎年の注文にとても追いつかず義父も頭を悩ませていた。
弟に訳を話すとこれもまた機嫌が悪い。「もういい」と投げ遣りである。
おまけに母の遺骨を返してくれないかと言うので寝耳に水であった。
先日から「分骨」の相談は受けていたのだがまさか「返せ」とは。
いくら弟であってもあまりにも酷いのではないかと思った。
幼い頃から母親べったりの子供であったがその執着心には呆れる。
弟には母に捨てられた記憶が無いのだろうかとその心中を疑う。
私は13歳。弟は10歳だった。あの寒い冬の日の朝のことを。
私達姉弟はアパートに置き去りにされたのだ。
生前の母はまるで遺言のように生まれ故郷のお墓に拘っていた。
弟はそれをしっかりと憶えており母の願いを叶えてやりたいのだろう。
私もそれは気になっていたが義父にどうして告げられようか。
最期を看取ってくれたのは義父である。母はどんなにか安らかに
息を引き取ったことだろうと思う。もう何も思い残すこともないと。
それは私たち子供には到底理解出来ない愛の終着だったのではないだろうか。
弟にはしばらく日を置いてゆっくり説得しようと思っている。
きっと分かってくれるだろう。どれ程の愛情であっても
それ以上に敵わない愛情がこの世にはあるのだ。
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