ゆらゆら日記
風に吹かれてゆらゆらと気の向くままに生きていきたいもんです。

2024年10月11日(金) 藁にも縋る

爽やかな秋晴れであったがやはり今日も夏日となる。

寒さは苦手なので過ごし易く思うのだが

突然に寒くなるのだけは勘弁して欲しいものだ。

私にとって冬ほど怖ろしい季節はなかった。

血圧がぐんと高くなり卒倒するのではないかと不安でならない。

そのまま死んでしまえば諦めもつくが半身不随にでもなれば

夫や娘達にどれほど迷惑を掛けることだろう。

考えたくもなかったが負の感情がつのるばかりであった。

もっと楽観的に生きていけたらどんなにか楽だろうか。




仕事は来客が多く嬉しい悲鳴を上げていた。

午後一番にタイヤ交換を予約してくれていたお客様がお昼前に来る。

待たせるわけには行かず同僚がお昼休みを犠牲にしてくれた。

義父は最後の稲刈りの準備をしていたが「もう昼飯じゃな」と

居室に向かうなり直ぐに工場に戻って来る。

今朝仕掛けたはずのご飯が炊けていなかったのだそうだ。

うっかりして炊飯器のスイッチを押し忘れていたのだろう。

「炊けるまで待つ」と言っていたがあまりにも可哀想なので

急いでお弁当を買いに走った。一緒に同僚のお惣菜も買い求める。

同僚は3時からの通院を控えていたのでそのまま2時まで居てくれる。

どんなにかお腹が空いただろうと気遣わずにはいられなかった。

買って来ていたポテトサラダを見るなり3日連続だと苦笑いする。

独り暮らしなので毎日お惣菜を買っているのは知っていたが

昨日もポテトサラダだったとは知る由もなかった。

玉子焼きや煮物を詰め合わせたお惣菜セットも手渡す。


義父はお弁当を食べ終わるなり稲刈りに出掛けた。

やっと「十和錦」であるが猪の被害に遭っているので僅かである。

半日もあれば終わるそうで今日は手伝い手も居なかった。

籾米を軽トラックで運ぶのは私でも出来たのだが

今日は市の胸部レントゲン検診があり3時には退社しなければいけない。

義父は一人でも大丈夫と言うので手伝うことも出来なかった。


3時半には地元の集会所まで帰り着く。

胸部レントゲンのせいかいつになく緊張していたようだ。

もし異常が見つかれば4ヶ月以内に連絡があるのだそうだ。

頭から「肺がん」が離れない。とても4ヶ月は待てないと思った。

「死」の恐怖がひしひしと押し寄せて来るばかりである。


明日は主治医の診察があるそうなので受診することに決めた。

予約制ではないので早朝から出掛けなければならないが

藁にも縋る思いである。「大丈夫」の一言を聞きたくてならない。

ようく調べたら白血球の数値はストレスでも高くなるのだそうだ。

今のところ大きなストレスはないが「隠れストレス」の可能性もある。

とにかく信頼している主治医に委ねるしかないだろう。


死んでしまえば全て終りだが生きてさえいればまだ未来がある。

目標は米寿であった。あと20年の命がどうか叶いますように。







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