二十四節気の「寒露」露が冷たく感じられる頃。
秋は日に日に深まっているようにも感じるが
日中は25℃とまだまだ夏の名残がある。
都心では一気に気温が下がり寒さを感じたようだ。
朝の道の秋桜もほぼ満開となり心を和ませている。
峠道に差し掛かる手前の地区にはお遍路さんの休憩所があるのだが
数日前から溢れんばかりの秋桜が花瓶に活けられている。
地元の方の温かなもてなしに頭が下がる思いである。
残念ながらお遍路さんの数は少ない。今朝も一人も見かけなかった。
おそらくこの夏の猛暑で出足が鈍っているのだろう。
秋が深まれば一気に増えるのではないだろうか。
そう云えば職業遍路のMさんにしばらく会っていない。
最後に会ったのはいつだったか忘れるほどである。
初孫が生まれて娘さんが同居を勧めてくれていると言っていた。
迷っている風であったが山梨へ帰ったのかもしれない。
10年以上も毎日歩き続けて来たのだ。
ゆっくりと休み穏やかな老後を過ごしてくれていたら何よりに思う。
今日は義父の81歳の誕生日だった。
そわそわと落ち着かないのは自動車免許の更新が気になっていたようだ。
高齢者講習は既に終えており合格していたのだが
ずっと目の調子が悪く不合格になるのではと不安だったようだ。
どうしようどうしようと迷っていたが決心したのか午前中に出掛けた。
お昼にはにこにこと笑顔で帰って来て合格とのこと。
私も嬉しくてならず義父と一緒に喜び合った。
免許を失効してしまえば仕事も出来なくなってしまうのだ。
それだけはあってはならないことである。
今夜は友人たちが誕生日のお祝いをしてくれるそうで楽しみにしていた。
今頃は大いに酔っぱらって盛り上がっていることだろう。
独居老人ではあるが友人に恵まれており有難いことである。
午後には仕事が一段落していたので2時半過ぎに退社した。
4時前には帰宅しておりゆっくりと寛ぐことが出来る。
もちろん「破れ奉行」も見た。何度見ても面白い。
20年以上も昔の時代劇だがとても新鮮に感じる。
今は時代劇そのものが廃れておりとても残念でならない。
頭から離れないのは「太平楽」であった。
神経質な私にとって人から言われたことはかなり尾を引く。
もちろんそう言われたのはこれまで生きて来て初めてのことだった。
「勝手気ままに振る舞うこと」「でたらめな言い分」など。
周りの状況や他の人の様子を気にせずに、悠長に過ごしているさまや
好き勝手な言動をあらわす言葉なのだそうだ。
SNSで最も信頼していた人からそう言われたのだからダメージは大きい。
最初は時が経てばと思っていたがどうやら修復は無理なようである。
昨日から一切の繋がりが絶えてしまったようだ。
哀しみよりもこんな理不尽なことがあるのかと嘆くばかりである。
去る者は追わない主義なので私も後姿を見せるしかない。
いったい誰だったのだろうと思う。私が出会った「魂」とは。
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